作り手たちの blue stories

vol.4 とりもと硝子店さん

vol.4 とりもと硝子店さん

  vol.4 とりもと硝子店さん たくさんの「こと」や「もの」があふれる今、作り手の想いと使い 手の心がつながる奇跡。瀬戸内の小さな町で暮らし、ここにある風 景、文化、素材と向き合い、ものづくりにこだわりと情熱を注ぐ作り手の方々をご紹介します。 彼らの美意識やものづくりの喜び、遊び心などが詰まった言葉を大切に集めてそれぞれのストーリーを発信していきます。 第4回は、硝子作家とりもと硝子店さん。鳥本雄介さんとの出会いは20年ほど前のこと。cafe umieができて数年たったある日、「僕の作品を使ってください。」とやってきた青年。持ってきたスニーカーの箱の中には、硝子の箸置きやグラスたち。そこから展示会を開催したり、ご家族で遊びにきていただいたりと長いお付き合いが続いています。今回は、とりもと硝子店の鳥本雄介さん、由弥さんにお話しを伺いました。              ―硝子と出会ったきっかけを教えてください。 雄介さん:映画を観てかっこいいなて思ったんです。『Love Letter』という映画でした。中山美穂さんが主演されている映画で、ほんの一瞬ですけど、硝子を吹くシーンが出てくるんですよ。そのワンシーンを見てかっこいいなと思いました。―いつから硝子の道へ進もうと思いましたか? 雄介さん:大学を出るときから探していたんですが、そのタイミングでは荒川さんの所までは辿り着かなくて・・・。いろいろ調べていたら、給料の面などで厳しい場所が多くて、大学でデザインを勉強していたので、一度そっちでやってみようかなと思い、印刷会社に勤めました。 あんまりキツすぎて、やりたかったことが嫌になっちゃうのももったいなって思って。その後、会社を辞めて硝子での就職先を探している時に荒川さんの所に辿り着きました。 ―由弥さんのきっかけは?由弥さん:昔、テレビで吹き硝子工房のドキュメンタリーを見て、幼稚園ぐらいの時だったかな。この仕事するやろうなと漠然と思ったのが初めです。幼稚園に入る前かそのくらいの時だったから、仕事にするって思ったわけではないけど、なんとなく硝子をするなとは思いました。―ずっと夢は続いていたのですか?由弥さん:いや、そこからは全然そういう事を覚えていなくて。でも硝子細工とかキラキラしたものがすごく好きでした。 吹き硝子をしてみようと思ったのは大学の時かな。思い出したんですよ。将来のこととか生計を立てていくことを考えた時に、どうせやったら好きなことをやろうと思って。その時に昔の夢を思い出しました。そこからはパタパタと道が開ける感じでしたね。富山の学校を出て、その後たまたま知り合いの紹介で荒川さんと出会いました。―雄介さんは荒川さんのもとで長く勤められていますね。 雄介さん:将来自分の作品でやっていく人が、14年も同じところにいるっていうのはかなりレアですね。なんか楽しくってあっという間に14年経っちゃいました。笑 もっといれたら、もっといてもよかったです。 たまたまタイミングがあって独立しました。 荒川さんの所では教えてもらう時間と自分の作品を作る時間のバランスがとれていて、とにかく毎日楽しかった。ーそして「とりもと硝子店」として独立されたんですね。雄介さん:根拠のない自信が少しと、たくさんの不安がありました。窯を作っても、硝子が溶けるかどうか分からないですしね。荒川さんと相談しながら窯を立てたから溶けないことはないんですけど、でもどっかで間違えてたら溶けないんです。あと、窯立てるのが結構きついんですよ。レンガを積んで、熱に強いセメントを溶かしてつくるんですよ。うちの場合は4ヵ月くらいかかりました。荒川さんの所で働いている時に今の家がたまたま空いていてずっとここに住んでいて、独立する時も特にどこかへ行く必要もなかったから、このまま貸してくださいって言って借りたんです。ー独立してから変わったことや、家族が増えてからものづくりへの変化はありましたか? 由弥さん:独立して結婚して子どもができて、っていうのがバタバタっとあったから生活がすごく変わりました。雄介さん:変わったのは、家族ができたのが圧倒的に違いますよね。独立して2年目くらいに結婚して、子どももできてなので、、、生活もですし性格も変わりました。―由弥さんから見てどんな風に変わったと思いますか? 由弥さん:無意識に人に対して作っていたバリアみたいなものが無くなった気がします。もともとすごい優しくて温和な人ですけど、それを人前に出すのを躊躇しなくなった。あとよく喋るよう になった。雄介さん:あとね、仕事の寝言を言わなくなったよね。笑子どもの寝言を言うようになったかも。由弥さん:昔は寝るギリギリまで仕事のことを考えていたからか、シビアな寝言を言っていたのが、家族が増えて一日に起きることが増えて、最近はよく子どもに対しての寝言を言ってます。笑雄介さんが子どもの保育園の送り迎えを毎日してくれますし、お風呂も入れてくれますよ。毎日、おもちゃ箱の中で暮らしているような感じですよ。土日は子どもたちが吹き場にきて、危険なことには全然手を出さないんですけど、お父さんの横で自分なりに吹き硝子の道具を針金や葉っぱやらでこさえて来てお父さんの真似をしてますよ。 でもそれが、雄介さんの動きをよく見ているからか意外と上手いんですよ。本当に硝子がついていたら、だいぶいい感じに硝子吹けているなって思います。笑あとはすごく集中したいタイミングって時に、子どもたちが喧嘩を始めてその仲裁をしてもらったりとかね。うるさくて忙しいですよ。でもこの時間も今だけでどんどん変わっていくだろうから、こうやって楽しめばいいのかなって二人で話しています。後で振り返って笑えるようにね。本当に賑やか。ー鳥本さんがつくる吹き硝子の特徴や魅力は?雄介さん:プレーンなものをずっとつくり続けていることかな?いわゆるコップです。あんまり細工していないコップを作っていても、飽きないっていうのが面白いんですよね。同じ物を作ろうとしても同じものができないようなやり方にしたからですかね。でも買う人が買いやすいとか、売る人が売りやすいようにするためにはある程度同じものの方がいいと思っています。ーインスピレーションの源はどこからですか?由弥さん:器とかは、ご飯を作っていてちょっとこんなの作ってみて、って話す事はありますね。普段の生活の中で、こんなのがあったらいいなって、ふっと思ったものを試しにつくってもらって、サイズ感とか、しばらく使ってみて、調整していくことが多いかな。普段の生活の中にスタートの芽みたいなものがあって、作りながら調整して、雄介さんが最終的に仕上げる感じです。ー由弥さんがアイデアを見つけて、雄介さんが形にすることが多いですか? 由弥さん:今は私が吹き硝子から離れて、家事をしたり子育てをする時間が雄介さんに比べてあるので、発見する時間がその中に隠れています。たまたま私がアイデアを拾い上げるタイミングにあるんだと思います。ー由弥さんがインスタグラムで硝子の使い方やアイデアを投稿されていて、大好きでいつも拝見しています。 由弥さん:育児の中でどうしてもフラストレーションが溜まっていくんですけど、硝子をガンガン作るには子どもたちがいて集中す ることができない、、って思ったときに、毎日の生活の中でトレーニングみたいな感じで始めたの。               @yuyat.i.g.a216 より  アイデアスケッチするようなつもりで、ちょっとしたアイデアを書き出したのがスタートです。それがだんだんと今みたいに感じになって溜まってきました。最近はポストカードにしたりしています。 自分が楽しくやってたら、周りにも楽しんでくれる人がたくさんいるみたいで嬉しいですね。子どもたちが最近、葉っぱとかを集めてきてプランツドローイングしてって持ってくるんですよ。それで「あれ、できたん」とか言って聞いてくるんですよ。笑まさかそんな日が来るなんてね。選んでくる植物が私と違うから面白いですよ。ー硝子作家としてこれから表現したいことはありますか?雄介さん:あまりそういうふうに考えてものつくりをしていませんね。由弥さん:うーんどうだろう、どんどん硝子作家という風には思わなくなったよね。雄介さん:硝子、じゃなくても面白そうなことはやったらいいし。ただ、硝子が溶けている設備を手にいれたからそれは使うけど。かっこいいなって思うものを作りたいだけで・・・。由弥さん:吹き硝子のスポーティーな感じが身体に染み付いているから続けられているのかも。自分たちのスタイルにすごく合っています。雄介さん:あんまり肩書きは気にしてないです。肩書きよりも出来上がったものが、喜んでもらえるものが作れたら嬉しいです。 ー風鈴が生まれたきっかけを聞かせてください。雄介さん:今、kitahama blue storiesさんで並べてもらっている風鈴は、もともとは由弥さんがつくっていた風鈴なんですよ。それをとりもと硝子店として活動するようになって、どちらがというわけじゃなく作るようになりました。由弥さん:硝子の風鈴って硝子同士がぶつかる音のものが多いけど、うちは硝子と真鍮の部分を使っているんです。真鍮の作家が友達にいて、その人に作ってもらっています。私は硝子と金属がぶつかる音の方が綺麗だと感じていて、それがきっかけですね。愛媛に住んでいた頃は、大洲和紙を風よけに使っていましたし、京都に住んでいるときは黒谷の和紙を使っていました。葉っぱを針金で刺して風よけとして使うような、さりげなさっていうか・・・。葉っぱは朽ちていくから、次に自分なりの風よけをつける可能性がすごく高いと思っていて。今の風よけがなくなった時に、住んでいるその土地、その季節の自然のものをつけて地域の風を起こして風を感じて欲しいという思いがあります。だからわざと長持ちするように作っていません。   ー風よけの植物はどんな風に選んでいますか?由弥さん:風よけに使っている花とか羽には、幸福を呼び込むメッセージがはいってるんです。花言葉がね。白い羽をまとめて飾っておくことは、幸運を呼び込むおまじないだったり、紫陽花のドライフラワーは玄関に飾っておくと魔除けになるとかね。ユーカリの花言葉「再生」とかいい意味があり、そういうのも含めて植物を選んでいます。一年中家に飾ってもらっていてもいいですしね。ー今回、「なつのおと」というテーマで風鈴をお届けしていますが、音へのこだわりは?雄介さん:心地よい音が出るように形や硝子の厚みに気を配っています。夏休みのカルピスの氷のような清々しい音がよいですね。ーものづくりに、大切にしていることは?雄介さん:うそをつかない。正直に向き合うこと。ー最後に、とりもとさんの硝子を手に取ってくれる方へメッセージをお願いします。雄介さん:とりもと硝子店の硝子は比較的丈夫です。どんどん使ってください。楽しんでいただければとってもうれしいです。 今回は硝子を作る夫婦のもの作りへの想い、ありのままの日々の暮らしを伺うことができました。暮らすことそのものを楽しむ姿勢は、硝子の中に柔らかさや温かさを生み出しているのかもしれません。瀬戸内の海のような穏やかな揺らぎを映し出す鳥本さんの硝子。日々の暮らしの中に自然と溶け込み、大切な人の日常にも届けたくなります。オンラインショップにてとりもと硝子店さんの商品の取り扱いが始まりますので、ぜひご覧くださいね。<鳥本雄介>1975 神戸市生まれ 大阪芸術大学デザイン学科卒 印刷会社勤務 を経て2000 晴耕社ガラス工房入社 荒川尚也氏に師事2011 日本クラフト入選 2015 独立 とりもと硝子店を開窯<鳥本由弥> 1978 大阪府生まれ 京都造形芸術大学美術学部彫刻コース卒富山ガラス造形研究所卒 2005 晴耕社ガラス工房入社 荒川尚也氏に師事   とりもと硝子店 facebookはコチラ  

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vol.3 布作家 さとうゆきさん

vol.3 布作家 さとうゆきさん

vol.3 布作家 さとうゆきさん   たくさんの「こと」や「もの」があふれる今、作り手の想いと使い手の心がつながる奇跡。瀬戸内の小さな町で暮らし、ここにある風景、文化、素材と向き合い、ものづくりにこだわりと情熱を注ぐ作り手の方々をご紹介します。 彼らの美意識やものづくりの喜び、遊び心などが詰まった言葉を大切に集めてそれぞれのストーリーを発信していきます。 第3回は、布作家 さとうゆきさん。優しい風合いのバッグやエプロンはどのようにして生まれるのでしょうか。今回は、ゆきさんの自宅兼工房を訪ねました。                                                                      ―布作家になるきっかけは?高校が美術の学校で、彫刻を専攻していました。そのまま彫刻で大学に行って、彫刻家を目指したけど、卒業してすぐに結婚したため、その夢は叶わずで。でも何かを作りたいという気持ちがずっとあって。そんなとき、子どもが生まれたけど着せたい服がないと感じて、ズボンくらいだったら縫えるかなと作って、その後、布に対しての興味が出てきたの。       ―布との出会いは?もともと布は好きで、布を買うことはあったんですが、自分にはそれを使う術がなかった。布を暮らしの中に採り入れるのはすごく難しかったけど、初めての海外旅行でメキシコに行ったとき、バスに乗っていたら、インディヘナの人が市場で買った野菜や、 ニワトリをショールでくるんで背負っているのを見て、「そうか布は何でも包んでいいんだ」って思って。一番びっくりしたのはね、ショールから足がひょこっと出てて。なんと、子どもを包んでたのよ。そこでリアルに布を使っている人を見て、「そっか綺麗で飾っておきたくなるような布でも、生活の道具として使っていいんだ。」と知りました。メキシコでの布との出会いもそうだし、その後ラオスに行ったけど、ラオスに行くとお家の下で機織りをしている女の人がいて、家族のために織っている光景を見たの。そこでも布はもっと身近なもので、日常に普通にあるものなんだっていう経験があって、自分の中でぐっと布との距離が近くなりましたね。                                                                                          ―彫刻家になる夢はずっとありましたか?布を触っているうちに、彫刻家になりたいというもやもやした気持ちがなくなったというか、自分がものをつくる時間をどうとらえていたかっていう事に気が付いたの。私はもともと具象彫刻を作っていて、毎日モデルさんが来てヌードモデルを作っていたの。でも粘土で等身大のモデルを作るときに、200~250kgくらい粘土がいるのね。それを作るための粘土を練る作業がすごく好きだった。なぜなら同じリズムで体を動かしてたら頭がよく回るというか、よく考えられる。自分のこととか考えたり、そういう時間が好きだった。結局、できた作品を世の中に出して、何かを問おうとしていたわけではなくて、自分と向かい合う時間が欲しかったんだなって気が付いたときに、布にミシンをかける時間が、それにすごく感覚が似ていた。 だから、布にステッチをかけることで私は粘土練りと同じ時間をもう一回取り戻したんじゃないかな。作家になりたいっていう気持ちからちょっとずつ離れて、すごく楽になりましたね。 やり始めた時は、お金をいただく以上、常に自分の気持ちがポジティブな時に作ったものじゃないといけないと思っていたんだよね。でも、そんな毎日ご機嫌なわけじゃないから、そんなこと言っていたら作れないじゃない?(笑) でもあるとき気が付いたの。すごく気分が落ちている時でも、ミシンを踏んでしまえばリセットできるってことに。そしたら、より日常に取り入れやすくなっていった。ミシンをかけることは自分の中ですごい大事な行為だなって。        ―ゆきさんにとってメキシコとは? こだわりの少ない生活の中で、唯一のこだわりは、メキシコを身近に感じる機会や空間を作ることなのよ。 メキシコで手に入れた工芸品(織物・器・木彫オブジェetc)を身の回りに置いて愛でたり、メキシコ料理を作ったり、エプロンのコスプレもね。体内メキシコ濃度を上げて、妄想・空想旅を楽しむことです。ものつくりの始まりの地をいつも忘れないように感じていたい。 エプロンのコスプレは逞しく仕事をするメキシコのお母さん達のように頑張る気合い入れです。                                                       ...

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vol.2 革靴職人 entoan 櫻井義浩さん

vol.2 革靴職人 entoan 櫻井義浩さん

vol.2 革靴職人 entoan 櫻井義浩さん   たくさんの「こと」や「もの」があふれる今、作り手の想いと使い手の心がつながる奇跡。瀬戸内の小さな町で暮らし、ここにある風景、文化、素材と向き合い、ものづくりにこだわりと情熱を注ぐ作り手の方々をご紹介します。 彼らの美意識やものづくりの喜び、遊び心などが詰まった言葉を大切に集めてそれぞれのストーリーを発信していきます。 第2回は、靴職人のentoan 櫻井さん。拠点は埼玉県。靴の受注会を開催したり、kitahama blue storiesでオリジナルカラーのブルーのお財布を作っていただいたりと、長いお付き合いが続いています。今回は2021年1月28日より開催の「大切にしたい春のおさいふ展」に出品いただくおさいふのこと、entoanさんのものづくりへの思い、革小物の楽しみ方をお聞きしました。                -靴職人になられたきっかけをお教えください。 物心がついた時から靴は特別な存在でした。 小さい時は親に洋服を買ってもらうと思うのですが、靴を買ってもらうときはすごく嬉しかったのを覚えています。どんな靴を履いていたかなども結構覚えています。 小学校の時、地元のサッカークラブに入っていたのですが、やはりスパイクが好きでよく玄関で磨いていました。夜、玄関で独りっきりで靴を磨いている時間がなんだか忘れられず好きで、靴に関する仕事に就きたいと思ったのが大学在学中の20歳の頃でした。 大学卒業後に靴の専門学校に2年間通いました。 -革の魅力はどんなところにありますか? 動物だったということ。 全く同じものはないということ。 変化していく表情。 靴を作りはじめ、素材としての革に触れる機会が増えたことで、さらに革も好きになっていきました。今でもそうですが、経年変化を楽しめる革が大好きです。 革が好きで、気になったら勢いで買ってしまうことも多いので、棚があふれ返っています。 -ブランド名「entoan」に込めた思いをおきかせください。 「en」には縁、円などの意味があります。 「an」には「あいうえお」の最初の「あ」と最後の「ん」。全ての言葉を使っても伝える事が出来ない思いをカタチにするという意味を込めています。 それを「to」&の意味の日本語「と」で繋げて、「entoan」というブランド名にしました。                    -ものづくりをする上で大切にしていることは? 当たり前のことですが、ひとつ1つ丁寧に作ることです。 1から10までの行程を気持ちを込めて行うことによって、自分がそのものを好きになり、使い手の方にもその気持ちが伝わると思っています。 デザインの面では素材をうまく活かすことが出来ているかどうかを大切にしています。-革小物を作るようになったきっかけは? 革靴を作っていると、どうしても余り革が出てしまいます。 その余り革で何か作ることが出来ないかと、革小物を作るようになりました。 革小物第一号は「おなかポッコリキーケース」です。 靴づくりと小物づくりに、大きな違いはありません。その時に作りたいものをカタチにしています。                                -kitahama blue storiesオリジナルカラーとして、瀬戸内の海のように美しい「ブルー」のおさいふを作ってくださいましたが、革の色はどのように選ばれていますか? 瀬戸内とのつながりは高校の同級生が高松に住んでおり、entoanを売り込んでくれたのがはじまりでした。 色を決めるときは、そのデザインにベストだと思う革を探しに見に行ったり、今までの革のストックや今まで見た革を思い出しながら決めていきます。 ブランド立ち上げ当初は、探しに行くことがほとんどでしたが、最近はストックや今まで見た革からマッチングさせることが多くなりました。        -今回の展示会で、色んな形のおさいふを届けてくださいますが、それぞれのおすすめポイントをお教えください。 【ロングウォレット】                     初めて作ったentoanを代表するお財布です。使いやすさと収納力で一度使うとなかなか他のものを使えない!というお客様も多いです。 このお財布のいいところは一度で全てを「見渡せること」です。ボタンを外すというワンアクションでカード、お札、小銭がどこにどれだけ入っているのかがわかります。 仕分けもたくさんできるようになっているので整理しやすく、小銭スペースは取り出しやすいよう大きく開く設計にしました。 最近は小さなお財布がトレンドのようですが、entoanでは1番の人気商品です。 カード類やレシートなどついつい増えてしまう…という方におすすめです。                         ...

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vol.1 漆作家 Sinra 松本光太さん

vol.1 漆作家 Sinra 松本光太さん

    vol.1 漆作家 Sinra 松本光太さん   たくさんの「こと」や「もの」があふれる今、作り手の想いと使い手の心がつながる奇跡。瀬戸内の小さな町で暮らし、ここにある風景、文化、素材と向き合い、ものづくりにこだわりと情熱を注ぐ作り手の方々をご紹介します。 彼らの美意識やものづくりの喜び、遊び心などが詰まった言葉を大切に集めてそれぞれのストーリーを発信していきます。  第1回は、香川漆芸の若手作家を代表する松本さん。2021年1月3日よりkitahama blue storiesとデザインラボラトリー蒼では「sinra」と個人展「松本光太」としての2つの展示会が同時開催いたします。今回は漆作家の松本光太さんの工房を訪ねてきました。     ‐漆と出会ったきっかけは?   高校を決めるときに担任の先生にいくつか候補に出してもらうじゃないですか。   3つくらい候補を出してもらった中に高松工芸高校の金工科、漆芸科、デザイン科がありました。技術も身につくし、もともとモノづくりが大好きだったこともあって、その中でも金属の冷たい感じより、漆芸の木の温かい感じが好きだったので漆芸科を選びました。そこが漆との出会いでした。   それまでに漆のことは全く知らなかったですね。ただ漆を木に塗って…漆器というものがあるくらいの漠然とした認識でした。   それが高校に入ってからは週の半分が実習の時間で、漆漬けの毎日になりました。       ‐育ったのはモノづくりや漆にふれる環境だったのでしょうか? 母自身は漆器が好きだったようですが、父の代からみんなサラリーマン一家で、分家ばかりで引き継ぐ漆器もなく、家の中にあふれていたかと言うとそんなことはなかったです。 これはありきたりな答えなんですけど、男の子ってみんなプラモデルとか作るのが好きじゃないですか。 小学校の図画工作の時間に木を削って作って褒められた経験なんかがモノづくりが好きになったきっかけですかね。       ‐漆のどんなところに魅力を感じていますか? 漆に限ってというよりはモノづくり全体に言えることですけど、僕の場合はたまたま漆に出会ったから漆を続けているだけです。金工の道に進んでいたら金工家になっていたかもしれないですね。 漆って自然のもので、生きてるわけなんです。塗れば乾くものでもないですし、厚く塗れば縮むし、全く自分の思い通りには一切なりません。それをうまく対話しながら完成に近づけるのが面白いですね。             ‐漆を扱う上で大切にしていることはありますか? もう自然なんですよね。もう30年以上やってきて、漆は日々触れるものであるっていうのが染みついてるんです。 息をするのと一緒ですよ。何にも用がなくてもアトリエに来てるしね。この空間だったり、漆の香りをかぐと精神が落ち着きます。       ‐作業の道具は自分用に作られているのですか? 面白いことに仕事ができる人の道具は、誰が使っても使いやすいんです。仕事ができない人の道具は、みんなが使いにくい。やっぱりその性質を良く知っている人が作るとすごく使いやすいです。 ただ、たぶん僕の道具を他の人が使うとちょっと使いにくい。。。(笑) 自分の使いやすいしなりだったり、角度だったりを自分の感覚でつけていくんですが、他のスタッフも自分でヘラなど道具を作っています。ちょっと彫りをしてみましょうか。           ‐すごく細かい彫りですね!   僕の彫りってすごく細かいじゃないですか、1個2個間違えても全然目立たないんですよ(笑)。ぎっしり彫るんでね。   若い頃は一つの失敗にすごくこだわってましたけど、歳を取ってくると、それよりも「全体のフォルム」に追求するところが変わってきましたね。             ‐小さなカップ、仮面やオブジェなど作っておられますが、どんな時にアイデアが浮かぶんですか? まあかっこよく言っちゃえば、作品との対話だよね。 始めは木地があってそれを眺めながら、ここの木目を生かしたいなとか、どんどんラフを書いていっちゃう。僕の場合はね。 それでなんとなく彫りたいなって思ったものを、その中からチョイスして1日2日眺めて、他の仕事をしながら机に置いておくんですよ。 お面や箱もね。1つのことばっかりをやっていると煮詰まってきて面白くなくなるんですよ。ひとまず目につくところに置いて違う作業をしながら、 こんな感じでいこうかなってのを思いついたら彫って進める感じですね。       ‐最初に木地を彫ったときにはある程度の完成形のイメージがありますか?   僕の場合はまず形を彫りたいんです。だからお面だと、こんな形を作りたいってのがまずあって、それを彫り始める。   作品でいくと、こういうカーブの色気のある箱を作りたいと思うとまずその箱を作り出す。それで置いておく。まずフォルムから入って、フォルムが出来た時に、じゃあ意匠をどうするかを考えることが多いですね。        ‐どうしてSinraを始めたのですか?   僕も研究所を出ているので、磯井 正美に弟子入りした時点で、その作家っていう方向性もしっかり教え込まれました。作家のやり方もわかる、けど自分の作品をつくるだけだと漆業界は終わってしまうんですよ。現代に合わせた漆器をつくっていかなければいけないというのが、Sinraの始まりですね。       ‐Ishikoシリーズどのように行き着きましたか?   いろんなイベントに出るようになって庵治石の職人さんとのつながりができて、庵治石の職人さんから庵治石に漆を塗ってくれという風な注文を受けるようになりました。例えば、庵治石のプレートに漆を塗ってそこにステーキを置いても染みていかない、とかね。でも、それってどこまで行っても庵治石のお皿であって漆器ではないですよね。   ある時庵治石の職人さんたちとお酒を飲んでいるときに、僕たちも漆器で庵治石を作りたいな、という話をしていて。どういうものがあるか、という話で庵治石を削るときに粉が出ると。その粉をどうにか使えんかなと思って、いろんなものに混ぜ込んでみて、1年ほどかかって今の状態になりましたね。楽しく話してて、いろんなアイデアももらいつつ、とりあえずやってみようと思いました。うまくいかなくてもなんでもやってみることですね。                ‐つくり手として使い手の方にどんな風に楽しんで欲しいと思いますか?   そうですね、まずは触れるところからですね。 今の子どもたちは漆に触れる機会が全くないですから。他の漆が盛んな地域では学校給食で漆器を使ったりして、実際に使ってみたり漆に関する知識を勉強する機会を作っていますけど、高松はなかなか厳しいですね。   20歳くらいの人たちがIshiko塗りを使いやすいと思って買ってくれるとね、この人たちがお年寄りになったときに、もっと上の人間国宝級の方の作品に魅力を感じてそれを買ってくれる人になるかもしれない。でも、やっぱりそれも子どものころから漆器を触った経験があるからなんですよね。   だから漆を扱う者として、やれることをやって伝えていくことが大切だと思います。      ...

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