ーその時に木工作家になろう!と思ったんですか?
木工をしようとは特に決めてなかったです。高松でサラリーマンをしていた時、嫁さんが職業訓練校の資料をもってきてそこが岐阜県飛騨高山の木工科のものだったんです。
入校すれば一年間失業保険を受けながら専門的な技術を教えてくれるから行ってみようよ!と。その時結婚していたのですが、有給をとって飛騨まで試験を受けにいき合格したのでじゃあ行くかってことで木工を始めました。
ー木工があってのスタートではないのですね。
そう、木工を最初に考えていたわけではないんです。自分一人で仕事をするときに、物を仕入れて売るのは運転資金も要りますし、個人でするのは現実的ではない。それよりも自分で製造業としてものを作って売る方が自分の匙加減というか、思うようにやれるんじゃないかというイメージがありました。
ー木工以外のほかの選択肢もあったんですか?
どうだったんだろう…嫁さんが持ってきたのが木工だったから。やるんだったら木工かなとか、そんな話はしていたのかも。ただ陶芸や他のことをやろうとは全然思わなかったですね。
もともと嫁さんがサラリーマンをあまり長く続けさせたくなかったようであんたそんな仕事続けていたら早死にするでってよく言われていました。
ー素質を見出してくれたんですね。
どうだろ~(笑)
ーもともと作家になるっていう感覚は自分にありましたか?
どっかではあったのかもしれない。いつかそういうのが出来たらなぁとは思っていました。
もっと遡っていくと高校生の時に芸大とか受けたいなと思ったことはあるんですよ。ただ調べてみたら学費とかが高すぎて現実的ではなかったんです。なのでとりあえず普通の文系の大学に行きました。
見るのも作るのも描くのも好きだったけど特別人より何か得意ってわけでもなかったですし、手先は器用な方でしたが、芸術系で戦ったことはないから...ふわっとしていたかな。10代20代はそんな感じでふわっと過ごしてました。でも、どっかで何かやりたいとはあったのかもしれませんね。
ーそしたら木工自体も0(ゼロ)からのスタートだったのですか?
完全にゼロからですね。何も知らずに始めました。訓練校は期間が1年間、同学年が22名ぐらいで、社会人や若い方いろんな人がいましたね。そこに交じって実際に集中してやってみて、あぁなんか自分に向いているなという感覚がありました。
ー向いているなと気づいたのはどれくらいなんですか?
4月に入ってゴールデンウィークぐらいまで延々、かんなの刃を研いでいて…本当基本的なことですが、最初はぜんぜん研げないんです。刃は丸くなるし全然ダメだったのが毎日していくとゴールデンウィーク前に急にびたっと刃が付くようになって…その時にちょっと合ってるのかも、と。
クラスの中でも感覚をつかむのは早かった方ですね。色んな基本的な手加工を習っても、割と飲み込みが早い方でした。
ーそこから木工作家の道が始まったのですね。
とはいえたった1年間、学んだことで仕事にするのは難しくて、結婚もしているし、生活もしていかなくてはいけないじゃないですか。なので卒業後は、飛騨の木工会社に就職をしました。
6、7年働きながら同じ訓練校で所帯持った同世代の2人と一緒に3人で豚舎だった建物を借りて、1年掛けて綺麗にして、中古の機械もお金を出し合ってそろえて、実際に自分でモノづくりを始めたのが2007、8年頃ですね。そのころは木工会社に勤めながらだったので加賀雅之の名前ではなく屋号「semi-aco」で活動していました。
ー屋号の「semi-aco」の由来は何ですか?
semi-aco(セミアコ)はセミアコースティックギターの略称ですね。アコースティックギターは中が空洞になっていて弦の振動を本体の中で反響させて楽器自体で音を出すんだけど、エレキギターっていうのはマイクが付いてて音が出る。ちょうどその中間のセミアコースティックは中にマイクがあって、本体だけの音も、マイクを通して大きい音も出すことが出来るっていう楽器。
ハイテクとローテクの中間みたいな感じで、僕が木工でやりたい工業製品と手工業のいいところを取り合って出来るモノ、そんなイメージでこの名前にしました。
手仕事っていうのは必要で大切だけど、数を作るとなると全て手仕事は難しいし、その分単価も高くもなる。手仕事だから凄い!訳じゃなく、適材適所で、ちょうど良い塩梅があるはずなんです。工業製品には工業製品のいいところがあって、機械の力をかりて出来る仕事と手仕事にしか出せない仕事があって、そのバランスを取りたいんです。
ー工業製品と手仕事の間に加賀さんのモノづくりがある?
そうそう、もともと工業製品好きですしね。同じものがいっぱい並んでいるとか、どこか幾何学的なものが好きだったりとか、歯車とかも(笑)逆にあまりにも自由過ぎるのはないかもしれないですね。
ーアート的なモノづくりは加賀さんのイメージにはないですもんね。
結局僕が作りたいのは道具なんです。アート的な世界になると座れなさそうな椅子でもこれは椅子ですと言ってしまうんですよ。でも僕の感覚では、それは椅子じゃないよねってなるんです。自由な発想、アート的なモノづくりでもやっぱり使う事が出来る道具であって欲しいんですよね。インスピレーションを貰うのは工業製品や昔の道具から来ることが多いかもしれない。
ー作家としてここは譲れないな、と思うところはありますか?
良くも悪くも好き嫌いがはっきりしてるから、流行りがあったとしても自分が苦手なら絶対にやらないですね。
ー絶対?
絶対です(笑)これは自分がサラリーマンを経験しているからわかる事かもしれませんが世の中の8割の人が良い!というものは大体大手がやるんですよ。そうなると、僕らみたいな個人では手に負えない。
それだったら、流行ってるからやってみるというより、自分が本当に良いと思うものを作り続けていれば、たとえそれが5年売れなかったとしても、もしかしたら6年目に売れるかもしれないし、そっちの方がなんか説得力ありますよね。
ー現在木工の道に進んで何年ぐらいになるんですか?
木工を始めて18年目になりますね。semi-acoとして始めたのが2007年、2008年ぐらい、そして岡山に来て12目年になります。
当時は置いてもらっているお店とかも少なくて、クラフトフェアとかを全国で開催していて作業場で作りためたものをクラフトフェアにもっていっていたんですが、やっぱり木工会社を務めながら作家業をするのに限界を感じまして。数が作れないし、やるなら1本に絞ってやらないと、と思って岡山で始めました。
ーなぜ岡山で始めたのですか?
嫁さんの出身が岡山の児島で僕が京都出身だったんです。独立するなら住む場所と作業場所が一緒の方が金銭的にも良かったし、木工の加工機械を回すとどうしても大きい音が出るので街中では難しい。で、限られた中で考えると田舎の母屋と離れがあるような物件がいいよね、と。
京都は山の中の物件を探しても家賃が高かったんですよ。で「うゎー、高いなぁ~」って…2人とも西日本の出身なので兵庫や大阪の方まで物件を探してましたが、引き寄せられるように最終的に岡山にたどり着きました。田舎暮らしがしたいとかはないんだけど、必然的に田舎暮らしになってましたね。
ー加賀さんのお家テレビもないし田舎に一種の憧れがあるのかと思ってました(笑)
違うねん!意識高い系に勘違いされそうやけど結構普通でいいのよ(苦笑)テレビは確かにないけど、もらったテレビが壊れてしまって、ないならないで大丈夫だっただけ(笑)機械の音が出る仕事だから隣に家もなくて、夜中に大きい音が鳴っても大丈夫な田舎暮らしに結果的になっただけなんです。
東京で働いていたこともありますけど、別段都会が生活しずらい、とかもなかったですね。ただ子育てを東京でやろうとは思わなかったかな…。
ー作品を作る期間はどれくらいかかっていますか?
よく聞かれるんですが、単純に木を板にして彫る作業だけだったらonigiri皿なんかは1枚30分もかからないです。
けど、その木の板を作る前に丸太を板状に挽いた材料を買ってくるんですが、木って反ったりねじれてたりするんです。木を買ってきたら作るものよりも一回り大きい状態に切って、重ねて置いた状態で少しづつ削って真っ平らに近づける下ごしらえが1か月以上掛かってきます。
製品になっても保管している環境や空調によって反ったり木が育った環境によっても反りが違いますね。山の勾配が急な斜面に生えている木だと一方向にストレスがかかっていてねじれや反りになるんです。それをほぐしながら均一にしていくっていう感じです。
ー作品にする前の素材から手をかけているんですね。
木のサイズが決まっていますし、割れや節もあるのでどこまで有効的に無駄無く使えるか、木材を扱うのは引き算の仕事になります。一度切ってしまうと元に戻せませんから制限がある素材なんです。
ー工程で一番楽しい所は何ですか?
仕上げの工程でオイル塗っている瞬間ですね。それまでは木くずまみれなんですが、オイルを塗った瞬間木の器になるんです。艶が出て木の色味もグッと強くなって、出来た~って感じるんです(笑)
ー加賀さんといえば彫り、彫りの工程が好きなのかと思ってました。
長年しているので、手や体の感覚が覚えていて、自分が機械になった気持ちですね。その作業に没頭している間は色んなこと、いつも別のことを考えていることが多いです。集中してるわけでもなくて、機械みたいな感覚ですね。
ー木を彫ることに対しては緊張しないんですか。
あまり緊張はしないかな。でも、料理するときの食材と一緒で木は生き物だと思っています。そこに刃物を入れるのでごめんなさいではないけどちゃんと使わせてもらいますと思いながら扱っていますね。ご飯食べるときの「いただきます」と同じ感覚です。
ー木が生きているって言う感覚は木工作家さんならではなんでしょうね。
そうかもしれませんね。土やガラスや金属より生々しい感じ。生きたものだし、しかも自分より長く生きた年上の存在ですからね。だから切れる刃物で、なるべく木に負担を掛けずに切りたいとは思っていますね。
ー使う道具はこだわっているんですか?
本当はそうしたいですが、作業場にある機械は中古品ですし工具もバラバラですね。お金もないので仕事で必要な道具をひとつひとつ買いそろえていった、という感じです。中古の物もあるし、人から譲り受けた物もあります。
拘る方は好みのブランドで揃えるんでしょうが僕はそれよりもちゃんと研ぐ方にこだわっています。安い刃物でもちゃんと研いでメンテナンスすれば使えない道具はないですからね。
手工具はメンテナンス出来るんですが機械は難しいですね…飛騨時代からお世話になってる機械屋さんに電話して、どこが悪いのか教えてもらいながら自分で直して使っています。
ー加賀さんの工房にはどれくらいの機械があるんですか?
色んな使い方ができる汎用機(はんようき)を8~9ほど置いています。大きい工場には専門の作業が出来る専用機(せんようき)がありますがそれではきりがなく、スペースの関係もありますしなるべく色々と使い回しが利く機械を選んでいます。
新品で買う事は資金的にも難しいので飛騨にいる時に、独立に向けてある程度見繕っておきました。産地なので機械の中古品もよく出回るんですよ。それを岡山に来た際に一緒に送ってもらった感じですね。
ー工房に籠る事も多いかと思いますが、作業中音楽とかかけられたりしますか?
いつもラジオを流しています。FM岡山とかレディオモモしか電波が入らないけど…音楽も好きですよ。ただCDラジカセを持ってはいますが、わざわざ手を止めないといけないし、埃だらけになるのでやっぱりラジオかな。
最近スマホデビューしたのでアマゾンミュージックとかスポティファイとかほんとうは聴きたいんですけどね。嫁さんがうん、と言わん限りは…ね。なかなか思うようにはいかんわ(笑)
ーちなみに好きな音楽は???
今はズーカラデルとかハンバードハンバートとか。竹原ピストルとか、昔の星野源も好きですね。今の星野源も好きだけど、昔のもがいてる感じの時が好き。全然何でも聴きますよ。サーフミュージックも好きやし。ロックとかポップ、でも縦のりじゃなくて横のりが好きです。
ー息抜きはどんなことされていますか。
バイクで近所の山を走ったり、って言ってもツーリングって程でもなくて、ほんま近くのダムに行ってカップラーメンを食べて帰る。まあ、ピクニックに行く感じですかね。
スランプみたいなのはないんですが、なんか、今日は怪我しそう…とか、なんか、嫌な感じがする…って思う時があるので、そういった時はおとなしくパソコンに向かって古い車をレストアしてるのをYouTubeで観たりしています。
ー「自分らしい」と思う確信があったのは始められてどのくらいでした?また名刺代わりになった瞬間とかはありましたか?
確信か…売れてるものとか売れそうなものを作る気は元々なかったから「自分がやるんやったらこれやな」っていう感じで作り始めて…そうやね、10年くらい前かな、人気のある方がお皿を使ってくれてて、それをインスタにアップしてくれたらしくて、それを見て買いにいらした方がいた時かな。自分の彫りに名前が付いた感じ。
ー作品へのこだわり、彫りカタチ、使い勝手などありますか?
彫りやカタチは自分の中でいいと思った物はありますが、基本は脇役であってほしいなと思いますね。onigiri皿やったら、おにぎりをのせて初めてonigiri皿になりますよね、主役をうばわずに引き立て役になるように、とは考えています。
自分の展示会でも自分の作品の上にお皿やカップ、そのお店にある物をのせて引き立て役として使って下さい、とお願いしているんですが、感覚としては作品を作っているのではなく、生活の「道具」を作っている感覚ですね。自分の作品です!ではなく、他の作品があって使われて初めて活きる物であって欲しい。暮らしの中、人の営みに添う脇役がいいんです。
ー作品のアイディア、影響を受けた方はいらっしゃいますか?
工業製品がもともと好きで直線的な物の方が好きで、幾何学模様のようなデザインが好き。影響を受けた方…ん-、べタ中のベタやけどイタリアの工業デザイナーのジョルジェット・ジウジアーロの車とかすごく好き。ベタすぎて恥ずかしいわ…昔直線的な車をデザインしてて、影響というかそういうのが好きかな。
好きな作家さんもいるし、作家さんの物を買う時もありますが、工業製品ぽいデザインを選ぶかも。無意識に。手仕事ですから!みたいな自己主張が激しい物はあんまりかな…
最近いびつなカタチのお皿も作ってるけど、いびつというカタチをめっちゃ考えますね。ただそうなりました、というカタチではなく、「いびつ」をたくさん描いて、そのなかの一番好きな「いびつ」をお皿にします(笑)そしてその「いびつ」をいくつも作ります。毎回違ういびつさではないですね。
職人と作家とか、アーティストのくくりは難しいやけど、たぶんアーティストの人はその時一回きりのモノづくりはあり得るけど、職人さんはそうじゃない、図面を渡されて何百個と作れるのが職人さん。で、僕らは図面を描いたり、デザインまでやるから作家と呼ばれる。でも一回しかできません、というのは僕の中ではあり得ないから、自分が決めたカタチはいくつも作りたいですね。
ー今まで作ってるカタチの中で、一番のお気に入りは?
お気に入りか…ん-、イチリンザシかな、やっぱり。息子が小っちゃい時にその辺の花をちぎってお母さんに「はい。」って渡してたやつを飾れるようにしたいなと思って作り初めたんです。
木工会社に勤めていた時に出てた廃材から作りはじめたのがイチリンザシ、カタチも今と一緒ですね。当時も、今もですが、木工旋盤があれば丸いカタチの物を作れるのですが、持ってないので、持ってる機械でフリーハンドで最初作って今でも作ってます。もう何千個作ってんのかな…めっちゃ作ってますね。
pan皿もonigiri皿もあれはあれで作家として認知してもらえた気がするからやはり想い入れはあります。pan皿、onigiri皿があったからこそそれをベースに水平転換で最近は縁のあるお盆を作る事が多いですね。
ーでは今回の展示会について、どんな展示会にしたいですか?
今回はお皿メインでなるべく、定番物から新しい物もちょっと混ぜながら、ほぼほぼフルラインナップを予定しています。blue storiesに普段あるガラスや焼き物など他の作品と一緒に組み合わせて展示してもらえたらいいかなと思います。
ー展示会へご来場いただくお客様へのメッセージは?
メッセージか…でもいつもショップカードにも書いてあるけど、ちょっと温かく思ったり、ちょっと暮らしがゆるんだりするような、お家に持って帰って、ちょっと家が明るくなったりとか、心地いいと思ってもらえたら嬉しいですね。お皿一枚増えただけで朝ごはんが楽しくなったりとか、今日あのお皿であれ作ろう!って思えるのは日常生活の中で大事な事じゃないですか、そういう事の役に立てればうれしいなと思いますね。
僕の場合は定番としてシンプルに同じものを使う事が多いから、自分が作る物にも派手さや最先端なものは必要ないのかなと思っていますね。
ー素直にちゃんと生活する道具としてのお皿なんですね。
そう、劇的に変えなくていいから、ちょっと幸せになってくれたらいいな、と。ちょっとでもすごいことだと思うけど、劇的に変えられる程の力は僕にはないから。
ーワークショップについて、前回に引き続き、今回もされますが、どんなイベントになればと思ってますか?
今回原点回帰じゃないけど、みんなで同じ形の板をせーので彫ってもらって、出来上がり、どんなバラバラなものが出来るのか、自分の作品だけじゃなくて、他の人の作品も合わせて楽しんでもらえたらなと思います。
ー皆さん楽しみにされてますけど、ワークショップをする理由は加賀さんにとって何かありますか?
わずか数時間ですが、実際にやってみると結構大変なんです。手が痛かったり、人によっては皮がめくれたり…全然思ってたのと違う、っていう方が多くて。
木工には木工の、陶芸には陶芸の、ガラスにはガラスのひとつの作品の向こうにこういう大変さがあるのか、とほんのちょっとでもいいから体感して欲しい。一回やってみる事で物の見え方が変わってくると思うんですよ。
ほんの数時間の体験で出来上がる喜びと物を作るのを仕事にしている人の作品の奥にある物、物の価値を知ってもらえたらと思っています。
pan皿やonigiri皿とか、刃物ですーっと彫ってると思う方も多いけど、実際やったら固いし、ちょっとずつ彫ってひと彫りひと彫り進めて作るんです。これはやってみないと分からないし、知らないですもんね。その物の価値に気づいてもらうきっかけになればと思います。手を動かして物を作ることで得られる気づきの見え方、知ってもらう為にもワークショップは可能な限りやらせてもらってます。
木工はワークショップにも向いてますしね。陶芸やガラスは時間とか、道具、炉が必要になってくるから工房に行かないとできないし、その点木工はどこでも出来るし、完成してすぐ使えるっていうのもいいですよね。
今回さろんぶるーで開催なので、自分が作った作品におにぎりのせて好きなところで写真とか撮れるし、楽しいんじゃないかな。
ーこれから加賀さんが未来に向けて挑戦、ビジョンはありますか?
ん-、そうですね。あんまりおもしろくはないけど、今のペースを崩さずに続けていくことですかね。いつも言うんやけど、どーんと上がったら、どーんと下がるやん?うちは低空飛行でもいいから長く飛び続ける事を選んでいるから来年あれやって、10年後こうなって…ってあまり考えてないかもしれない。それよりは細々とでも自分の仕事をやるのが目標かな。
毎日毎日コツコツ積み重ねた結果、ああ、もう10年経った、もう20年経った、それでも続けてるっていうのが僕の中では理想ですね。それが一番最高なんかなって思えます。
僕が持っている武器は木工一個やし、それで長く続けていくためには派手な事はしないけど、それでも10年後も続けていられると幸せですね。
ー加賀さんにとって「瀬戸内」はどんな存在ですか?
去年の企画展で出させてもらったプレート「凪」。そのイメージ。今は山の方に住んでるけど、それでも一時間ちょっと走ると牛窓とか日生っていって瀬戸内海がすごく近いし、嫁さんの実家も児島やし、高松にもちょこちょこ渡らせてもらっているし、でもいつ行っても凪いでるもんね、海が。荒れてるイメージがないから、それが結構好きな理由かな。あまりこう波がないっていうのがいいのかな。
モノづくりの環境も岡山は晴れの国って言われるくらい木工に向いてますしね。あまり考えてはなかったんやけど、山陰とかは雨が多いし、晴れが少ないからもっと仕事はしずらかったかも。
最終的に行き着いたところがちょうど自分に合った場所、タイミングや環境、色んなものに導かれたのかなと思います。
自然からもらった素材を感謝しながらカタチにする。忙しい日々の暮らしの中でシンプルだからこそ忘れやすい事を、ふっと思い出させてくれるような加賀さんの作品たち。3月の展示では真っ直ぐなものづくりと人柄に触れてみて下さい。
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たくさんの「こと」や「もの」があふれる今、作り手の想いと使い手の心がつながる奇跡。瀬戸内の小さな町で暮らし、ここにある風景、文化、素材と向き合い、ものづくりにこだわりと情熱を注ぐ作り手の方々をご紹介します。
彼らの美意識やものづくりの喜び、遊び心などが詰まった言葉を大切に集めてそれぞれのストーリーを発信していきます。
第8回は、陶芸家 平岡朋美(ひらおかともみ)さん。讃岐の空や海、自然の情景に魅せられて生み出された「讃岐blue」。
色とりどりの器づくりについて、工房「朋花窯(ほうかがま)」を訪ねました。
ー陶芸家になろうと思ったきっかけは何ですか?
短大を卒業してからシルクフラワーアレンジ(布花)の仕事を5年ぐらいしていて、その時にフラワーベースとなる花器やカゴをイメージごとに選んで作っていました。
昔から、絵を描くことや布を使って洋服やぬいぐるみを作ることが好きだったんです。
平面な作品より立体的な造形作品をつくり、使えるってことが好きでしたね。
フラワーアレンジの仕事をしている中でベースとなる花瓶も自分の好きな形で作れるようになればいいなと思い陶芸教室に通うようになりました。
ーフラワーアレンジのひとつとして陶芸を始められたんですね。
陶芸教室が仕事場から離れた場所にあったので通うのが大変だったのですが、陶芸教室の伊藤先生が熱心な方で、だんだん陶芸をするのが楽しくなっていました。
約2年ほとんど毎日のように通っていて今考えると結構迷惑していたんじゃないかな...。
そんな時に伊藤先生から「陶芸はやればやっただけ成長できる」「夢をかなえられるものだ」という言葉に半ば騙される形で(笑)陶芸家を目指すようになりました。
今思えば夢もぼんやりとしていたし、陶芸は肉体労働だ~って事も分かってなかったなぁ。そして25歳の時に、フラワーアレンジの仕事を辞めて伊藤先生に弟子入りさせて下さいとお願いをしに行きました。
でも、当時は地場産業が少なく陶芸品を販売できる所が無かったんです。
生活もあったので、定期的にフラワーアレンジの仕事を委託で貰いながら陶芸家になるぞ!と思い込んで毎日鍛錬していました。
30歳の時に工房を建て、31歳の時に窯を持つことが叶いました。家族もいきなり本気で工房?窯?って感じだったと思いますが、自分の力でやると決めた事ならと理解してくれて、精神的に支えてくれました。
ー陶芸教室や展覧会に作品を出展されていますが
器が出来るまでどれくらい時間が掛かるものなんですか?
土の状態から器となって窯から出てくるまでだと2ヶ月程かかります。
土のブレンド→ロクロ成形→乾燥→デザイン→素焼き→釉薬(ゆうやく)がけ→本焼きの流れです
素焼きは土が初めて火にさらされるので、ゆっくり水分を充分に抜きながらヒビ割れる事のないように、900℃迄14時間程焼きます。
本焼きは手間をかけて何度もテストを繰り返したオリジナルの釉薬をまとった器物を1250℃まで36時間かけて慎重に焼く作業。
釉薬が熱によってガラス状の被膜となり、水漏れを防ぎ美しい色の器になっていく。その為に窯全体の完璧に近い温度管理、酸素濃度の調整が必要です。様々な色の器を一緒の窯で焼くので、時には釉薬が溶けすぎて棚板とくっついて割れてしまう事もありますね。
ー窯での作業は聞いているだけでもヒヤヒヤします
上手く完成出来るのはどれくらいの割合ですか?
120%の仕事をして80%取れたら上出来ですね。
焼きあがるまで窯も中はみれませんから、窯場の空気感、匂いなど経験上のカンの様なものが重要です。特に依頼された仕事の時は失敗できないですね。夜中、窯をたいている間で仮眠をとっているとき工房が燃えていたり、作品がマンガみたいにダラダラ~と溶ける夢を見た事あります.....悪夢です。
ー平岡さんの作品では、青瓷(せいじ)の器が多く作られていますが
作られたきっかけは何ですか?
弟子になってから最初の頃、師匠から釉薬はいろんな表現があるから
まずは一つに絞った方がいいよと言われ、初めは紫色を表現したかったのですが
紫は焼き物の伝統的釉薬の本筋と少し違うかなぁとなり、青色が好きだったこともあり青色が表現できる青瓷(せいじ)を選びました。
ー青瓷って高級で難しいイメージがあるのですけど...
初めは、技術的なものは何も知らずに決めましたね。
青瓷って当時、陶芸家になった人が最後の目標にしていたり、お茶の世界でも青瓷器は牡丹や芍薬しか入れれない位の器だとお茶の先生方からきかされたり
ー別格なのですね
お茶の世界や、中国で青瓷が生まれた歴史、日本に伝わった経緯等から、その様なイメージが定着している感じはありますね。
選んだ私自身は後から学んだりして、そうだったのかぁ...って感じなのですが。
青瓷は、他の釉薬の何倍もの量を器に重ね掛けし、1日で終わる事が1週間もかかることもあり、半分以上ダメになることもあって何度も心が折れました。
だけど、青瓷を学んだからこそ釉薬の無限の可能性を知り、焼き物の幅広い世界に踏み込むきっかけにもなりました。
今では、あの時青瓷を選んでよかったなと思っています。
ー平岡さんといえば「讃岐の色」とイメージするのですが
「讃岐blue」は実際に香川の材料が入っているのですか?
地元香川の景色を表現するなら香川の土を使わないと意味が無い気がして
日本の焼き物の歴史はその土地で採れる土や石、それに適した加飾等が伝統として受け継がれています。焼き物材料店で釉薬を買って色を出すことも出来るけど、産地では無い香川でも自身のオリジナルにこだわりたい。これは師匠から受け継いでいる事でもあります。
ーご自身で土を採ってきていると聞いたのですが
はい、焼き物に適した土は香川に少ないので、土では無くて釉薬材料となる凝灰岩(ぎょうかいがん)を採りに。師匠やそこで学んでる人、数人でハンマーやスコップを持って山へ。これが、めちゃくちゃ重労働なんです。それを持ち帰って機械で細かく砕いた粉末を長石や灰等と混ぜ合わせていきます。
ー大変そう...青瓷釉の青はそこから生まれているのですね。
凝灰岩の中には鉄分が含まれていて、青瓷の青を引き出す為の3%程の必要量とぴったりなんです。正に香川の山に眠ってる鉄が窯の中で土と合わさって出来る色なんですよ。
土によって発色や貫入(かんにゅう)のひび割れ模様が変わるため、窯たき毎に、作りたい色や表現を目指して土や釉薬の調合をしています。
自然のものは安定しにくいので研究や試作を繰り返し、生まれるのが「讃岐blue」の器なのです!
ー作品の形や色のインスピレーションはどこから生まれているのですか?
自然界から来ていますね。
日々の空、花の色や昆虫、色深海生物の不思議な形や色調も好きです。
陶器に使っている釉薬にも自然の中から生まれた鉱物が溶け合わさって色となっていますからね。
窯の中で器の色が変わっていく窯変(ようへん)という現象があるのですが、思ってもみない色が現れるんです。空の色が毎日変化するのと同じ景色に感じますね。細密な計算やデータの元、生まれた色とそんな自然の偶然から生まれた色、どちらも表現したいと思っています。
ー海外にも行かれたのですね。
タイとフランスに文化交流の一環で参加したことがあります。
タイの時は、初めての海外展示で体調面も万全ではなく前準備も足りなかったですね。また、陶芸に対する日本とタイの捉え方かなぁ..そんな違いもあり自分が思う表現が上手く出来なかった気がしています。
ー苦い経験になったんですね。
タイでの経験から、次のフランスでは準備万端で絶対に後悔しないよう、結構こだわって挑みました。
フランスのトゥールに行った際は、香川の伝統工芸のものづくりを伝える匠雲(たくみくも)さんのチームの一人として盆栽や和菓子、ツアーで回ってきた観光客のお客様にお茶をたてるワークショップなど日本の文化体験を取り入れました。頑張った甲斐もあって、器が欲しい!気に入ったと声をもらい、向こうのギャラリーの方とも良いご縁を頂き今に繋がる経験が出来ました。
フランスに行くことで、自分の作品が認められたように感じましたね。
ずっと見守って応援して頂いた方からもフランスに行って良かったね、ちょっと変わったよねと言って貰えてなんだか殻が剥けて新しい自分、もう一人の自分に出会えたような気がしました。
ー今回の展示で布作家のさとうゆきさんとのコラボした作品が出来ましたが
コラボのきっかけは何ですか?
今回の展示では、お抹茶盌(まっちゃわん)を様々に展示します。両掌におさまるサイズ感の中で、色、形、デザインの展開を広げている。制作にハマっている器。
器を手で包み込みお茶を飲むことは日本人特有の文化ですよね。
難しいイメージのお茶ですが、もっと気軽にお茶を楽しんで貰いたいですよね。
これさえあればお茶が出来る!
おままごとのようなお茶セットを作ろうと考えていたところ前々から気になっていたゆきさんの布巾着「ころん」がお茶のセットを包むのにピッタリじゃないかと思いました。ギャラリーの展示会で初めてお会いする機会がありまして「運命」だと思いましたね(笑)
ーとっても楽しそうなコラボになりそうですね。
毎日使って頂きたい器を優しく包み込んでくれる素材として、ゆきさんの布作品はピッタリ!布袋の紐を解いて器を覗き見てわぁっと驚き、布から取り出して
小さな蓋つきの器には金平糖なんか入れてみようか..なんて。良いですよね。
布の色やスティッチの色などこだわった部分があるのでゆきさんとのコラボ完成が楽しみなんです。器が私の手を離れて皆様の日々毎日の日常の道具として自分らしいお茶時間を過ごして貰えたら嬉しいですね。
ー同時に開催されるお茶会について教えて下さい。
私が作ったお茶盌に茶筅(ちゃせん)を使い自分でお茶をたててもらって混ぜて飲む所作、一連の流れと時間を愉しんでほしい。
毎日のお茶やコーヒーを飲む時間と同じように気軽に取り入れて貰いたいと思います。ノアイエさんの和菓子も独自のスタイルを生みだしていて、
愛らしい表情と口に入れた際のちょっとしたインパクト..とても楽しみ。
茶筅さばきも改めて教えて頂こうかと。暮らしの中の身近なスタイルのひとつとして器を介して体験してほしいですね。
お茶の時間って気持ちの切り替えになると思うんです。
お茶の所作って難しく感じていますが思いやりの所作だと思っています。
だから難しく考えず気軽にお茶会ごっこを楽しんでくれたら嬉しいです。
ー平岡さんにとって「瀬戸内」とはどんな存在ですか?
私にとっては「ゆりかご」のような場所で
大切なことを忘れないでいれる場所です。
子どもの頃は島に住む祖父母の元で夏を過ごしました。青い海、塩の香りを嗅ぐと、島の人たちの優しさや純粋さを思い出して、まるでふわふわの布に包まれるような「ゆりかご」のようで。純粋に自由に作品が作れているのは、周りの人たちの支えがあってこそですね。
40代ぐらいの頃は生まれ変わったら陶芸はしませんと言っていたんです。
でも50歳を迎えて、もっといろんなことをやっておけばよかったと思いましたね。今は、100歳まで生きても足りないんじゃないかと思い初めまして...若返りの薬が欲しいです。
自然環境が崩れてきている今、美しい瀬戸内の情景を思い出と共に大事にしたい、
作品に表現していきたいなと思っています。美しいものを見て、作品に表現する。それを見た人が自身の記憶に残る思い出、美しい景色を思い返す。次の世代の方たちにも繋がっていって、この空や海を守っていきたいと思えるような意識を継承できるような形で器を生みだし残していく事が出来たら、と思います。
今回は、讃岐の色に魅せられた平岡さんの妥協しないまっすぐな作品への情熱を感じるお話でした。平岡さんの力強く、女性らしいしなやかな形と美しい情景、その一瞬を溶かした色を取り込んだ魅力あふれる器たち。10月から始まる展示会をぜひ楽しみにお待ちくださいね。
>>【展示会】ART&LIFE 平岡朋美2つの陶展~讃岐に染まるうつわたち~<<
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vol7. Rie Glass Garden 杉山利恵さん
たくさんの「こと」や「もの」があふれる今、作り手の想いと使い手の心がつながる奇跡。
瀬戸内の小さな町で暮らし、ここにある風景、文化、素材と向き合い、ものづくりにこだわりと情熱を注ぐ作り手の方々をご紹介します。
彼らの美意識やものづくりの喜び、遊び心などが詰まった言葉を大切に集めてそれぞれのストーリーを発信していきます。
第7回は、讃岐の山からうまれた庵治石をガラスに溶かしたら瀬戸内海の色になったAji glass。香川の温暖な気候から生まれたオリーブをガラスに溶かしたら瀬戸内の風の色になった Olive glass。
長い研究と実験を重ね地元、香川から誰もが誇れるガラス作品を生みたい!と思い、地場の産物を溶かし込んだガラスを生み出した、杉山利恵さんの工房を訪ねました。
―ガラス作家になったきっかけは何ですか?
小さい頃から、玩具の一部としてビー玉や空瓶を集めるのが好きで
ベットの頭からどんどん広り部屋中に空瓶を並べてました。
何も考えずに集めていたガラスが、昔は趣味のひつだと勘違いしていましたが
実は自分にとって特別な存在で、無意識に執着していたことが振り返ると解ります。
―ガラスが特別になったきっかけはなんですか?
たまたま入った地元のギャラリーで見つけた地元のガラス作家さんの作品
「香川でもガラスが作れるんだ!」
お店を出た瞬間すぐに連絡をして工房を紹介してもらったのがきっかけです。
紹介された工房に入った瞬間「これがしたい!!」と直感で強く思ったんです。
その時すでに、趣味ではなくプロになるためにスタートしたいと感じていました。
が、現実問題も色々とあり…まずはとにかく早くガラスを触ってみたい!
ということで土日に開催されるガラス講座を受けようと、
土日休みの職に変え、講座に通い始めました。
最初に触ったガラスの感触は今でも忘れられません。
ガラスを巻き取り紙(紙りん)で触っただけで楽しくて、楽しくて
…まだカタチになってなくても、熱に柔らかく赤いガラスを見ているだけで、
楽しくて仕方なかったんです。
―ガラス教室からガラス作家へ、すぐにガラスの道に入ったのですか?
出会ったのがそろそろ30代になるかなって言う時期で、
このまま趣味に留めたら歳を取った時後悔するんじゃないかなって…
ちょうどその頃母を亡くしたこともあり、立ち止まって考えることができました。
母も物づくりがすごく好きで、父も農業を営んで作物を作っている
私にも、物づくりをする両親の血を受け継いでいるんだと感じました。
今からでもやってみよう!と資金を3年かけて自分で貯めて、
東京の学校に行き、1年で吸収して帰ってこようと思っていました。
でもとても1年じゃ足りない…もう少し勉強したいと思い富山の学校に2年通うことになりました。
―地元香川の庵治石との出会いは?
自分の作風を探っている時期に、もともと地元愛は強かったけど東京と富山の学校の時期に外から見た香川の魅力を再発見しました。平和で、穏やか、空気も全然違うんです。
香川で育った農作物を食べ、豊かな土壌で育った自分が香川から生まれるものを作りたい。
ガラスにも香川のものを食べさせたら自然と何か伝えてくれるんじゃないかなと考えたんです。
地元らしさが出るガラスを作れたら、自分のことも表現できるし、香川を表現できる。
一石二鳥かも!とワクワクしました。
そこから、溶かせる素材を探し始めました。
―庵治石に行き着いたのはどうやったんですか?
香川にはいろいろな素材がありますが、まず可能性の高いものからやってみよう!
と最初に試したのが香川が誇る庵治石でした。
というのも、一般的にガラスの着色につかわれるのもコバルト・鉄・銅などの鉱物だからです。
天然の石を溶かせるかどうかなんて、全く判らない状態からのスタートでしたけど。
友人に石屋さんがたまたまいて「庵治石」のいろんな欠片や石粉を送ってもらいました。
初めは全然溶けず、グレーの汚い色になり失敗しましたが、
2年に一週間だけの材料学の先生の特別授業があって、
放課後先生に根掘り葉掘り聞きまくりました(笑)
そして一度だけ小さな実験を一緒にしてくださり、
小さなおはじきみたいなガラス玉から水色が出て…それはもう鳥肌がたちましたね。
実験を重ねてだんだん水色が蒼くなってきて…
庵治石からこの蒼色が出ることに涙が出るほど感動しました。
―最初から庵治石にチャレンジしたんですね!?
他にもリストアップだけはしたんですよ、でも消去法というか、勘がいいのかもしれないです(笑)。
鉱物だから熱にも強く、何か出る可能性があるかなって。結構せっかちなんです!
ガラス自体そうですが、結果がすぐに見えるじゃないですか(笑)。
漆とかは完成までめちゃ長い…とても自分には出来ないです。
―庵治石から蒼が出て、それからどうしたんですか?
まず庵治石の組合や石の地主さんに、材料や「庵治石」という名前自体を使ってもいいですかと、
お伺いを立てに挨拶回りしました。すると思わぬ反応が返ってきたんです。庵治石から出る廃材を使って、こんな色のガラス製品になって…
とても良いと思うよ!どんどん使って香川と庵治石をPRして下さい!
と応援してくださったことがとても嬉しかったです。何より産地の方が喜んでもらえるのが。
そこから地元の反応も見たくて、県産品コンクールに応募しました。そしたらまさかの賞をもらえまして…(笑)
初めて県内外の方の目に触れてもらえて
「瀬戸内の色だね。」「庵治石からでた色なんだね!凄い!」って。
生の感動の声を聞けたことが一番嬉しかったし、励みになりましたね。
―じゃあ、結構順風満帆ですね!
それが、ガラス工房を個人で構えるのってとっても大変なんです。
普通はまずどこか、ガラス工房に勤めて数年経験を積んでから独立したり工房をレンタルして制作する作家さんも多いのですが、私の場合は在学中に賞を戴いてしまったためにメディアにも取り上げられて、仕事も来る、取材も来る、でも工房は無い…
そんな後押しもあり、すぐに工房を立ち上げるきっかけになりましたが、
最初の1年はめちゃくちゃ辛かったです。
学校を出たからってすぐいい作品なんか出来ないんですよ。10個中1個しか上手くいかない。
でも、いきなり高松三越の展示に出さなくちゃいけない…在庫も無いから、
ひたすら作っては作品になる物を選び、毎日補充しに行ってましたね(笑)。
―そんな苦労があったんですね!
庵治石の作品を作れるようになって、
去年発表したオリーブガラスとの出会いもやっぱり地元愛からですか?
オリーブとの出会いは5年くらい前に、香川のオリーブ園SOUJUさんが持ち込んでくれました。
オリーブを燃やした灰を持って工房に来てくれたのが、きっかけです。
熱に弱い植物は無理だと思っていたので無理だと思いますよ。と言いつつ、一度やってみました。
やっぱり色が出なくて…結果を伝えたら
「量が多かったら、出ますかね?」と再度持ってきてくださったんです。
そしたらたまたま2回目で緑色が出ちゃったんですよ。
あっけにとられましたね。「緑の物から緑が出た!凄いな!」みたいな。
でも次に実験するとまた色が出なくなったんです。
同じ配合にしても出ない(苦笑)。庵治ガラスとは勝手が違いましたね。必死に緑を探しましたよ。
夜中に心配で何度も工房に行っては色を確認したり、失敗した壺のガラスを全て掻き出したり…
とっても苦しみました。
―庵治石とは違った苦悩ですね!
色が出ても全然安定しないんです。
フレッシュなグリーンが出たかと思えば、濃い茶色気味のグリーンだったり…
同じ色を出そうと何度も何度も試して、ふっと思ったんです。
オリーブ本来の色って何だろうって。
葉っぱの裏と表、季節でも緑の色合いが違うじゃないですか、
実の色も変わっていきますし…
オリーブガラスにムラがあるのもオリーブ本来の姿なんじゃない?って。
同じ色を並べてみた時に、なんだか物足りなささえ逆に感じてしまって、
オリーブは色が違うべきなんじゃい?って。
そう思ってたくさんの緑を並べるとオリーブの景色が広がりましたね。
―その頃でしたっけ?去年の県産品コンクールに応募してて、何だか切羽詰まってましたよね?
そう、「もうやるしかないじゃん!」みたいな。
県産品コンクールに応募して自分を追い込みました。もう腹を括りましたね(笑)。
何だかいつも、そんな人生ですね!周りの人や物事に、ありがとう!って。
急かしてくれてありがとう!って。そもそもは自分で追い込んでるんですけどね。
今は無理して良かったなって思います(笑)
―子育てみたいなものですね(笑)。
まだ息子の方が育て易いですよ(笑)
子育てよりオリーブガラスの方が大変!全然言うこと聞いてくれない!
でも答えはあるんですよ、その色その色が出る場所があるはずなんです。科学ですからね(笑)。
でも私がまだ行き着いて無いだけなんです。
一生かけて色をコントロールできるようになってみたいです!まだまだ振り回されてばかりですけど…
―手間かかる子ですしね(笑)。
そう、めちゃめちゃ時間と労力かかるんですよ。
枝葉を車やトラックにいっぱいいただいて帰って、乾燥させて、切り刻んで、燃やして灰にして、
ふるいにかけて…細かい異物を取り除いてあげる。ここまでしないと綺麗なガラスにならないんです。
自然のものを扱うって本当に大変ですよね。
庵治ガラスはどっしりとした落ち着いたお兄ちゃんで
オリーブガラスは手のかかる妹です(笑)。
―そんな大変なオリーブガラス、特別に何か作りたいものはありますか?
実はすでに試作してるものがあるんです…オリーブだからこその物を作りたい。
今回のオリーブガラス展に出す予定なので、ぜひ楽しみにしていて下さい!
―それはとっても楽しみですね!今はまだ内緒なんですね
…では、杉山さんにとってガラスの魅力って何ですか?
「現実離れしてる存在」かな。
透かして見ると向こうの景色が歪んだりして、世界が違って見える!
―今後ガラスに限らずやってみたいことはありますか?
海辺のカフェをしてみたいです!以前海辺で展示をしたのですが、
海を背景にガラスを置いてると、ここにあるべきなんだな、って。
この蒼と緑のガラスは特別、水を入れるとめちゃめちゃ綺麗なんです。
一番綺麗に見える場所で使っているところを見たいですね。
―今回の展示への意気込み、見どころを教えて下さい。
私のガラス人生第二章でもあるオリーブガラスが持つ色んなグリーンの色!
色んな色合いが並ぶ展示会ならではの風景を見て欲しい!そして新作もあります!
―苦労もあったと思いますが、何だかとっても楽しそうですね!
最後に杉山さんにとって「瀬戸内」とは?
母のような温かい受け皿!空気の母性。
お母さんのお腹の中のような、もう覚えてないですけど(笑)何か守られてる温かさを感じます。
今回は、ガラスと向き合い自然が織りなす作品の制作秘話でした。
杉山さんの情熱と長い研究が生み出したAji GlassとOlive Glassは
庵治石とオリーブ、そして杉山さんの心が溶け合わさって生まれた色なのかもしれませんね。
オンラインショップにてAji Glass、Olive Glassのお取り扱いがございますので
ぜひご覧になってくださいね。
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たくさんの「こと」や「もの」があふれる今、作り手の想いと使い手の心がつながる奇跡。
瀬戸内の小さな町で暮らし、ここにある風景、文化、素材と向き合い、ものづくりにこだわりと 情熱を注ぐ作り手の方々をご紹介します。
彼らの美意識やものづくりの喜び、遊び心などが詰まった言葉を大切に集めてそれぞれのストーリーを発信していきます。
第6回は、kitahama blue storiesでも絵本が子どもから大人まで大人気、高知県在住の絵本作家 柴田ケイコさん。最近では人気のTV番組「セブンルール」でも取り上げられるなど、全国で注目が集まっています。絵本作家になられたきっかけや作品づくり、これからのことなどをお伺いしました。
ー絵本作家になられたきっかけは?
もともとはデザイン会社に勤めていて、イラストレーターとして14年くらい活動していました。息子が小さい頃に弱視ということがわかって、病院に行った時にめがねの絵本がなくて、少しでもメガネはかっこいいものだよっていう絵本が作りたかったのと、また同じような悩みをかかえる親子にも読んでもらえる、そういう絵本が作りたいと思ったのがきっかけです。
絵本なんて作ったことがなかったから、どこの出版社がいいか全然わからなくて。 それで、お世話になっている手紙社さんに相談に行きました。そしたら、せっかくだからうちから出しましょうと言ってくださって、最初の絵本「めがねこ」ができました。
ー昔から絵本はお好きでしたか?
私の時代は、両親が働いていたので親に読み聞かせてもらうというより、保育園の先生が読み聞かせてもらった感じです。絵本は絵がメインでしょう。だから絵本は昔から好きでしたね。
ー絵を描くのも小さな頃から?
そうですね、女の子とか、お姫様とか、普通の女の子がみんな描くような絵をただ描いてましたよ。ずっと絵を描くことは好きで、大学も美術一択でした。
卒業してデザインの会社で仕事をしたり、印刷のオペレーターとして働いたりしていました。
ー「めがねこ」にモデルはいますか?
「めがねこ」はもともと、小学生の男の子が主人公で考えていました。でもそれだと話が暗くなってしまって・・・。そこで手紙社の北島さんから「柴田さんは動物が似合います」って言ってくださって。
それで、「めがね→めがねこ」でねこが主人公になりました。
モデルはいますかってよく聞かれるんですよ。「柴田さんってこんな方なのかな?」ともよく言われます。笑
「めがねこ」は一応設定はおじさんです。笑
ー「めがねこ」はとてもインパクトのある絵ですよね。
かわいい猫の絵本はたくさんあるから、印象に残る絵にしたくて・・・。シワがあって、なんでも話したくなるでしょう!
ー憧れの絵本作家さんはいますか?
長新太さん、馬場のぼるさん、大島妙子さんです。 絵もストーリーも大好きです。
ー絵と文章はどちらを先につくりますか?
最近では登場するキャラクターとテーマにあったプロットづくりから始めていきます。あとは編集者さんと相談しながら進めていきます。
ーアイデアはどんなところから浮かびますか?
例えば「おいしそうなしろくま」は、私が食べるのがすごく好きだから、 こんな食べ物にしろくまがいたら面白いだろうなとか、 子どもが好きそうだなって思う食べ物とか。そこからどんどんシリーズが続いていきました。とにかく妄想するのがすごく好きです。
ポメちゃん以降は大変でした笑。アイデアはいつも日々の生活から。こどもの世界って家が中心なんですよね。
それでもネタ切れで、アイデアが浮かばなくて、すごく大変でした。
編集者さんにもアドバイスをもらったり相談しながらできた絵本です。 文章を考えるのはすごく難しいですが、読み聞かせをしてみて読みやすさや、リズム、テンポなどを大切にしています。
ー印象的な色が素敵です。色の選び方はどのように決められていますか?
基本的には、ひらめきや直感かな。塗りながら決めていく感じです。 海外の絵本のような原色の色が好きです。 たくさんの色を使うわけじゃないけど、パッと目を引くような色を使うことが多いですね。
ー絵本以外にもこけしや一輪挿しなどを作られていますが、アイデアはどこから湧いてきますか?
グッズが好きなんです!
雑貨屋さんで働いたことのあるくらい雑貨が好きなんです。
初めて個展をしたとき、自分の家のプリンターでポストカードを印刷して持っていったんですよ。そしたら思ったより多くの人が手に取ってくれて。それがすごく嬉しかった!
展示会に行ったときに、何か持って帰れるっていいですよね。こけしや一輪挿しもその延長線上です。
せっかく展示会に足を運んでいただくのだったら、 一点モノならではの魅力と、特別なワクワク感を感じられるものを用意したくて。
絵やポストカードとかの紙ものと立体の違いは、隠せないところかな。失敗できないというか。
元々デザインをやっていたので、なんでも自分で作れてすごく楽しい。名刺ひとつでも自分で作れます。
ー読者との交流で印象に残っていることをお聞かせください。
ファンレターもよく頂きます。一番うれしかったのは、メガネのJINSさんに「めがねこ」を全国の店舗に置かせてほしいと言ってもらえたことです。今はコロナ禍で、絵本を片付けている店舗もあるかもしれませんが、そのときはとても嬉しかったですね。
さらには、JINSさんから「めがねこ」のカルタを作りたいとお話をくださって、子どもたちが目の健康を学ぶカルタを作っていただきました。自分の想いが届いたんだと、すごく感動しました。あとは、お子さまから一生懸命書いたお手紙に、なるべくお返事はお手紙でするようにしています。
ー絵本作家としてやっていく決めてになったのはどの作品ですか?
やっぱり「めがねこ」かな。デビュー作はすごく私にとって大切な作品です。
ー煮詰まった時のリフレッシュ方法はありますか。
落語をきくこと!笑 あとは、映画を見たり、外に出て歩くことですかね。マラソンもやっていましたが、もう今はやっていなくて!家が仕事場なので、なかなかON/OFFの切り替えはむずかしいですね。
でもずっとこの生活なのでもう慣れっこになってしまいました(笑)。 子どももいるし、集中していても仕事中に部屋に入ってくることもあって「あぁっ」てなりますけどね。笑
ー今後、チャレンジされたいことはありますか?
人間の絵本を描いてみたいです。
人間が主人公の絵本はまだ描いたことがないので。
ー将来、柴田さんのようにイラストレーター、絵本作家になりたい方へアドバイスをお願いします。
描きたいと思ったら、とにかくなんでも描いてみる。
あとは外に出ていろんな人に会う、いろんな作家さんの展示会に足を運んだりすることかな。
私自身、外に出るのは嫌いじゃなくて、人との出会いがあって今があるなとすごく思います。
ー今回の展示会の意気込みを聞かせてください。
今回は広い展示会場なので、たくさん原画を持って来ちゃいました!
絵本の原画をゆっくりみてほしいです。絵本と実際の絵の違いを見てもらいたいですね。
そして、窓にもたくさんのパネルを貼らせていただいたのと、顔出しパネルを持って来たので顔はめなど楽しんで、明るい気持ちになってもらえたらと思います。
たくさんのイラストたちが、海辺のギャラリーを気持ちよさそうに泳いだり、飛んだりして遊んでいる、とってもチャーミングな展示会場に仕上げてくださいました。顔出し看板や手づくりのグッズ、絵本以外の原画などお楽しみがいっぱい。柴田さんはみんなをワクワクさせる天才です。柴田ケイコワールドをこの機会にぜひ体感しにいらしてくださいね。
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たくさんの「こと」や「もの」があふれる今、作り手の想いと使い手の心がつながる奇跡。瀬戸内の小さな町で暮らし、ここにある風景、文化、素材と向き合い、ものづくりにこだわりと情熱を注ぐ作り手の方々をご紹介します。
彼らの美意識やものづくりの喜び、遊び心などが詰まった言葉を大切に集めてそれぞれのストーリーを発信していきます。
第5回は、砥部焼のスギウラ工房 杉浦綾さん。伝統工芸品の砥部焼に斬新で愛らしい作家の手仕事がプラスされた、暮らしにしっくりと馴染む器を作られる陶芸家です。 杉浦さんとの出会い、個性あふれる作り手が暮らす街、愛媛県大洲の方々とのご縁でつながり、オリジナルで可愛いカモメの箸置きを作っていただいたのがはじまりです。2019年に最初の展示会を開催し、今回は2度目の展示会。穏やかだけれど、パワフルな魅力あふれる杉浦綾さんにお話を伺いました。
「伝統産業って、モノを作って食べる。絵を描くよりも、芸術よりも、ずっとリアル!」
「陶芸も絵付けもうまい下手じゃなくて継続。誰でもやればできる。20年続ければできるもの。」
―砥部焼の魅力は何だと思いますか?
真っ白な地に呉須(ゴス)の青で絵付けしてあるのはとってもかっこいいなと思いました。 厚みのある感じとか使い勝手の良さとか。すごく丈夫だし。
―白地に青の線が心地よいですよね、描くイラストはどんな時に思い浮かびますか?
伝統的な古典柄もありますし、オリジナルのものもあります。 崩し卍だったり、豆絞り、麻の葉のような古典柄があって、それらをどうやって描くかは自分流。ベースにあるパターンは昔からの古典柄。 そこに、自分なりのひょうたんのイラストに古典柄を採り入れたりね。
―イラストはもともと描かれていたのですか?
全くです。私は大学の頃自分で絵を描くんじゃなくて、デザインマネージメントっていうデザインをする人と、その技術を繋げるようなことをやっていて。 だから絵は描ける人にお願いしてました。ディレクター職に近い感じのことをしていました。
自分でやることがピンと来なくて。 ただ、陶芸も絵付けもうまい下手じゃなくて持続なんですよ。 継続。誰でもやればできるわけ。20年続ければできるの。
だから陶芸の学校時代からずーっと古典模様を練習し続けました。ずっと線ばっかり描いていました。
こういうのを麻の葉模様っていうんだけど、これを何も見ないで描けるようになるまで、 こんな筆を使って絵付けをするんだけど、
筆先が長いからとにかく筆が走る練習をやってた。自分が描きたいものを描くっていうよりは、自由に筆先を扱えるようにとにかくやってたかな。
―お皿やコップ、そのカタチはどのようにして生まれますか。
料理をしながらとか、盛りつけをしながら、こんな形があったらいいのになとか。 それが出てこなくなったらやめてもいいかな。。(笑)
―1番最初の定番はどの子ですか?
湯呑みかな。高台(裏側)が四角いタイプのね。 その後に張り合わせの形を出して、足が四つついている子ができて。 1つの器に絵をたくさん描きたくて。でも絵を変えるとっかかりがなくて、それを作りたくて、貼り合わせはそれを貼ったところで変えられるなと思って。素焼きをするとくっつけた後が見えるので、そこから絵を描いています。
*貼り合わせ (たたら作り)
粘土を薄くスライスしてパーツを作り、組んだり貼り合わせたりして作る手法です。型に押し当てて成型することでデザイン性に富んだ形を作ることができます。
「持って帰ったら一刻も早く洗って、その日の晩御飯に使ってほしい。 」
―ちなみに普段どんな料理を作られますか?
本当にね、あるもので作るのが得意なんです。 主婦の人は皆さんそうなのかもしれないけど、スーパーへ行って安かったものとかでね。コレ作ろうと思って買い物に行くってことはあんまりないけど、旬のものとか、、、
―お酒は飲まれますか?
お酒を飲むのために料理をしている!(笑) お酒飲むためにご飯を作るから、どんなに疲れて帰ってきても作るね。 お酒は絶対飲みたいから!(笑)
日本酒もすごく好きだし、ビールもワインも飲みますね。 最近は愛媛のお酒ばかり。西条にある酒蔵のお酒を飲んでいます。まあ全部美味しい!
―作ることが煮詰まってしまうことはありますか?
もちろん。そういうときは釣りにいきます。
船を出してもらって、しまなみへ鯛を釣りに行くんです。
―その目的は食べるため?
そう、飲むため。(笑)釣れなきゃ今夜ないよ、なんてみんなで言いながらね。 海に出てぼんやりしています。
普段、追われていないことがないので。
やってない、作らないってことはないんだけど、しなくていいなら、しないでいたい。 やらなくちゃとか、焦りみたいなのはなくて、締め切りはあるからそれに合わせてはやるんですけど。作り手として焦燥感で作るみたいなのはないかな。
―作ることと休むことのバランスが上手なんですね。
そうなのかも。だからこそ20年もやっていられるんだろうね。 びっくりするぐらいいい加減なんですよ、私。(笑)それもよい方に作用しているんじゃないかな!
―家と工房は同じ場所ですか?
ううん、通っているの。車で 30 分かけて砥部に行ってます。
愛媛で通勤 30 分の人ってすごく珍しいんだけど。私はそれが気に入っていて、車を運転するのも嫌いじゃないし。窯元って大体は家に工房があるのがスタイルだからみんな四六時中、仕事をしているわけ。それが私の場合は物理的にできないでしょ。だからすごくよかった。 家に帰ったらもう仕事はしない、触らない。あとは飲むだけ。(笑)
―今後作りたいものはありますか?
今回新作でもってきた、プレートの真ん中のサイズを完成させたいです!今のところ筒状のものが気に入っているので、この 1 年はやりたいと思っています。 四角いお皿にフチがあるのもいいよね。
あと、柄展開をもう少し考えたいですね。
―今回の展示会のタイトル「ストライプ」に込められた想いを教えてください。
すごくいいタイトルだと思わない??展示会のお話を頂いたときに、ふっとひらめいたんです。 ちょうど夏前のこの季節だし、ストライプを描こうと思っていたところだったの。 カタカナより英語がいいなと思って。
―最後に杉浦さんの器を手にしていただく方へのメッセージ をお願いします。
持って帰ったら一刻も早く洗って、その日の晩御飯に使ってください。 なんだっけ、トイストーリーで子どもが使わなくなったおもちゃをベッドの下に置いたままにしてるじゃない。ああはなりたくない。できるだけ最前線で使ってほしいんです。
器はできれば、その人のものに早くなってほしいなって思います。お家に持って帰ってその人のご飯を乗せてほしい。 だからその人のお家に行ったらその人のもの。その人の食器棚の中の一部に早くなってなじんでほしいですね。
お酒好き、お料理好きな杉浦さんが作る砥部焼は気取らず日々の暮らしに寄り添ってくれます。
一つ一つ手作りの陶器に描かれた愛らしい絵付けは、それぞれ表情が異なり、この器には次はどんなお料理を乗せようか…と妄想が膨らみます。
ぜひお気に入りの器を見つけてくださいね。
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vol.4 とりもと硝子店さん
たくさんの「こと」や「もの」があふれる今、作り手の想いと使い 手の心がつながる奇跡。
瀬戸内の小さな町で暮らし、ここにある風 景、文化、素材と向き合い、ものづくりにこだわりと情熱を注ぐ作り手の方々をご紹介します。 彼らの美意識やものづくりの喜び、遊び心などが詰まった言葉を大切に集めてそれぞれのストーリーを発信していきます。
第4回は、硝子作家とりもと硝子店さん。鳥本雄介さんとの出会いは20年ほど前のこと。cafe umieができて数年たったある日、「僕の作品を使ってください。」とやってきた青年。持ってきたスニーカーの箱の中には、硝子の箸置きやグラスたち。そこから展示会を開催したり、ご家族で遊びにきていただいたりと長いお付き合いが続いています。
今回は、とりもと硝子店の鳥本雄介さん、由弥さんにお話しを伺いました。
―硝子と出会ったきっかけを教えてください。
雄介さん:映画を観てかっこいいなて思ったんです。
『Love Letter』という映画でした。中山美穂さんが主演されている映画で、ほんの一瞬ですけど、硝子を吹くシーンが出てくるんですよ。そのワンシーンを見てかっこいいなと思いました。
―いつから硝子の道へ進もうと思いましたか?
雄介さん:大学を出るときから探していたんですが、そのタイミングでは荒川さんの所までは辿り着かなくて・・・。
いろいろ調べていたら、給料の面などで厳しい場所が多くて、大学でデザインを勉強していたので、一度そっちでやってみようかなと思い、印刷会社に勤めました。 あんまりキツすぎて、やりたかったことが嫌になっちゃうのももったいなって思って。その後、会社を辞めて硝子での就職先を探している時に荒川さんの所に辿り着きました。
―由弥さんのきっかけは?
由弥さん:昔、テレビで吹き硝子工房のドキュメンタリーを見て、幼稚園ぐらいの時だったかな。この仕事するやろうなと漠然と思ったのが初めです。幼稚園に入る前かそのくらいの時だったから、仕事にするって思ったわけではないけど、なんとなく硝子をするなとは思いました。
―ずっと夢は続いていたのですか?
由弥さん:いや、そこからは全然そういう事を覚えていなくて。でも硝子細工とかキラキラしたものがすごく好きでした。
吹き硝子をしてみようと思ったのは大学の時かな。思い出したんですよ。
将来のこととか生計を立てていくことを考えた時に、どうせやったら好きなことをやろうと思って。その時に昔の夢を思い出しました。
そこからはパタパタと道が開ける感じでしたね。富山の学校を出て、
その後たまたま知り合いの紹介で荒川さんと出会いました。
―雄介さんは荒川さんのもとで長く勤められていますね。
雄介さん:将来自分の作品でやっていく人が、14年も同じところにいるっていうのはかなりレアですね。
なんか楽しくってあっという間に14年経っちゃいました。笑
もっといれたら、もっといてもよかったです。 たまたまタイミングがあって独立しました。
荒川さんの所では教えてもらう時間と自分の作品を作る時間のバランスがとれていて、とにかく毎日楽しかった。
ーそして「とりもと硝子店」として独立されたんですね。
雄介さん:根拠のない自信が少しと、たくさんの不安がありました。窯を作っても、硝子が溶けるかどうか分からないですしね。荒川さんと相談しながら窯を立てたから溶けないことはないんですけど、でもどっかで間違えてたら溶けないんです。
あと、窯立てるのが結構きついんですよ。レンガを積んで、熱に強いセメントを溶かしてつくるんですよ。うちの場合は4ヵ月くらいかかりました。荒川さんの所で働いている時に今の家がたまたま空いていてずっとここに住んでいて、独立する時も特にどこかへ行く必要もなかったから、このまま貸してくださいって言って借りたんです。
ー独立してから変わったことや、家族が増えてからものづくりへの変化はありましたか?
由弥さん:独立して結婚して子どもができて、っていうのがバタバタっとあったから生活がすごく変わりました。
雄介さん:変わったのは、家族ができたのが圧倒的に違いますよね。
独立して2年目くらいに結婚して、子どももできてなので、、、生活もですし性格も変わりました。
―由弥さんから見てどんな風に変わったと思いますか?
由弥さん:無意識に人に対して作っていたバリアみたいなものが無くなった気がします。もともとすごい優しくて温和な人ですけど、それを人前に出すのを躊躇しなくなった。あとよく喋るよう になった。
雄介さん:あとね、仕事の寝言を言わなくなったよね。笑
子どもの寝言を言うようになったかも。
由弥さん:昔は寝るギリギリまで仕事のことを考えていたからか、シビアな寝言を言っていたのが、家族が増えて一日に起きることが増えて、最近はよく子どもに対しての寝言を言ってます。笑
雄介さんが子どもの保育園の送り迎えを毎日してくれますし、お風呂も入れてくれますよ。
毎日、おもちゃ箱の中で暮らしているような感じですよ。土日は子どもたちが吹き場にきて、危険なことには全然手を出さないんですけど、お父さんの横で自分なりに吹き硝子の道具を針金や葉っぱやらでこさえて来てお父さんの真似をしてますよ。
でもそれが、雄介さんの動きをよく見ているからか意外と上手いんですよ。本当に硝子がついていたら、だいぶいい感じに硝子吹けているなって思います。笑
あとはすごく集中したいタイミングって時に、子どもたちが喧嘩を始めてその仲裁をしてもらったりとかね。うるさくて忙しいですよ。でもこの時間も今だけでどんどん変わっていくだろうから、こうやって楽しめばいいのかなって二人で話しています。後で振り返って笑えるようにね。本当に賑やか。
ー鳥本さんがつくる吹き硝子の特徴や魅力は?
雄介さん:プレーンなものをずっとつくり続けていることかな?いわゆるコップです。あんまり細工していないコップを作っていても、飽きないっていうのが面白いんですよね。同じ物を作ろうとしても同じものができないようなやり方にしたからですかね。
でも買う人が買いやすいとか、売る人が売りやすいようにするためにはある程度同じものの方がいいと思っています。
ーインスピレーションの源はどこからですか?
由弥さん:器とかは、ご飯を作っていてちょっとこんなの作ってみて、って話す事はありますね。普段の生活の中で、こんなのがあったらいいなって、ふっと思ったものを試しにつくってもらって、サイズ感とか、しばらく使ってみて、調整していくことが多いかな。普段の生活の中にスタートの芽みたいなものがあって、作りながら調整して、雄介さんが最終的に仕上げる感じです。
ー由弥さんがアイデアを見つけて、雄介さんが形にすることが多いですか?
由弥さん:今は私が吹き硝子から離れて、家事をしたり子育てをする時間が雄介さんに比べてあるので、発見する時間がその中に隠れています。たまたま私がアイデアを拾い上げるタイミングにあるんだと思います。
ー由弥さんがインスタグラムで硝子の使い方やアイデアを投稿されていて、大好きでいつも拝見しています。
由弥さん:育児の中でどうしてもフラストレーションが溜まっていくんですけど、硝子をガンガン作るには子どもたちがいて集中す ることができない、、って思ったときに、毎日の生活の中でトレーニングみたいな感じで始めたの。
アイデアスケッチするようなつもりで、ちょっとしたアイデアを書き出したのがスタートです。それがだんだんと今みたいに感じになって溜まってきました。最近はポストカードにしたりしています。
自分が楽しくやってたら、周りにも楽しんでくれる人がたくさんいるみたいで嬉しいですね。子どもたちが最近、葉っぱとかを集めてきてプランツドローイングしてって持ってくるんですよ。それで「あれ、できたん」とか言って聞いてくるんですよ。笑
まさかそんな日が来るなんてね。選んでくる植物が私と違うから面白いですよ。
ー硝子作家としてこれから表現したいことはありますか?
雄介さん:あまりそういうふうに考えてものつくりをしていませんね。
由弥さん:うーんどうだろう、どんどん硝子作家という風には思わなくなったよね。
雄介さん:硝子、じゃなくても面白そうなことはやったらいいし。ただ、硝子が溶けている設備を手にいれたからそれは使うけど。かっこいいなって思うものを作りたいだけで・・・。
由弥さん:吹き硝子のスポーティーな感じが身体に染み付いているから続けられているのかも。自分たちのスタイルにすごく合っています。
雄介さん:あんまり肩書きは気にしてないです。肩書きよりも出来上がったものが、喜んでもらえるものが作れたら嬉しいです。
ー風鈴が生まれたきっかけを聞かせてください。
雄介さん:今、kitahama blue storiesさんで並べてもらっている風鈴は、もともとは由弥さんがつくっていた風鈴なんですよ。それをとりもと硝子店として活動するようになって、どちらがというわけじゃなく作るようになりました。
由弥さん:硝子の風鈴って硝子同士がぶつかる音のものが多いけど、うちは硝子と真鍮の部分を使っているんです。真鍮の作家が友達にいて、その人に作ってもらっています。私は硝子と金属がぶつかる音の方が綺麗だと感じていて、それがきっかけですね。
愛媛に住んでいた頃は、大洲和紙を風よけに使っていましたし、京都に住んでいるときは黒谷の和紙を使っていました。葉っぱを針金で刺して風よけとして使うような、さりげなさっていうか・・・。葉っぱは朽ちていくから、次に自分なりの風よけをつける可能性がすごく高いと思っていて。今の風よけがなくなった時に、住んでいるその土地、その季節の自然のものをつけて地域の風を起こして風を感じて欲しいという思いがあります。だからわざと長持ちするように作っていません。
ー風よけの植物はどんな風に選んでいますか?
由弥さん:風よけに使っている花とか羽には、幸福を呼び込むメッセージがはいってるんです。花言葉がね。
白い羽をまとめて飾っておくことは、幸運を呼び込むおまじないだったり、紫陽花のドライフラワーは玄関に飾っておくと魔除けになるとかね。ユーカリの花言葉「再生」とかいい意味があり、そういうのも含めて植物を選んでいます。一年中家に飾ってもらっていてもいいですしね。
ー今回、「なつのおと」というテーマで風鈴をお届けしていますが、音へのこだわりは?
雄介さん:心地よい音が出るように形や硝子の厚みに気を配っています。
夏休みのカルピスの氷のような清々しい音がよいですね。
ーものづくりに、大切にしていることは?
雄介さん:うそをつかない。正直に向き合うこと。
ー最後に、とりもとさんの硝子を手に取ってくれる方へメッセージをお願いします。
雄介さん:とりもと硝子店の硝子は比較的丈夫です。どんどん使ってください。楽しんでいただければとってもうれしいです。
今回は硝子を作る夫婦のもの作りへの想い、ありのままの日々の暮らしを伺うことができました。暮らすことそのものを楽しむ姿勢は、硝子の中に柔らかさや温かさを生み出しているのかもしれません。
瀬戸内の海のような穏やかな揺らぎを映し出す鳥本さんの硝子。日々の暮らしの中に自然と溶け込み、大切な人の日常にも届けたくなります。
オンラインショップにてとりもと硝子店さんの商品の取り扱いが始まりますので、ぜひご覧くださいね。
<鳥本雄介>
1975 神戸市生まれ 大阪芸術大学デザイン学科卒 印刷会社勤務 を経て
2000 晴耕社ガラス工房入社 荒川尚也氏に師事
2011 日本クラフト入選
2015 独立 とりもと硝子店を開窯
<鳥本由弥>
1978 大阪府生まれ 京都造形芸術大学美術学部彫刻コース卒
富山ガラス造形研究所卒
2005 晴耕社ガラス工房入社 荒川尚也氏に師事
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第3回は、布作家 さとうゆきさん。優しい風合いのバッグやエプロンはどのようにして生まれるのでしょうか。今回は、ゆきさんの自宅兼工房を訪ねました。
第3回は、布作家 さとうゆきさん。優しい風合いのバッグやエプロンはどのようにして生まれるのでしょうか。今回は、ゆきさんの自宅兼工房を訪ねました。
やり始めた時は、お金をいただく以上、常に自分の気持ちがポジティブな時に作ったものじゃないといけないと思っていたんだよね。でも、そんな毎日ご機嫌なわけじゃないから、そんなこと言っていたら作れないじゃない?(笑)
でもあるとき気が付いたの。すごく気分が落ちている時でも、ミシンを踏んでしまえばリセットできるってことに。そしたら、より日常に取り入れやすくなっていった。ミシンをかけることは自分の中ですごい大事な行為だなって。こだわりの少ない生活の中で、唯一のこだわりは、メキシコを身近に感じる機会や空間を作ることなのよ。
メキシコで手に入れた工芸品(織物・器・木彫オブジェetc)を身の回りに置いて愛でたり、メキシコ料理を作ったり、エプロンのコスプレもね。体内メキシコ濃度を上げて、妄想・空想旅を楽しむことです。ものつくりの始まりの地をいつも忘れないように感じていたい。
エプロンのコスプレは逞しく仕事をするメキシコのお母さん達のように頑張る気合い入れです。
―新作のフルエプロンについて聞かせてください。
暮らしの中でエプロンを身に付ける時間が長くなった頃、「朝一番に身に付けて、よしッ!と気合を入れる」ようなエプロンが欲しくなったんだよね。
エプロンに求めるものは、丈夫で手触りが良く、気軽に洗濯ができること。どんな服にも合わせやすいプレーンな形だけど、身に付けた時にグッと気持ちが上がる工夫を忍ばせています。 エプロンの紐は正面ではなく、左側面で結んでね。そうすることで結び目が作業の邪魔にならず、また見た目もスッキリします。 ポケットの位置も物を入れても取り出しやすいように少し斜めにつけたり、小さなところにもこだわりを。
―自宅が工房ということですが、リフレッシュの時間はどのようにとっていますか?
一時すごくお気に入りだったのが、夜ね、屋上で自作のラグマットを広げて、雲がビュンビュン流れていくのを見ること。寝っ転がって大の字になって、空を見上げるのが好き。夏の夜だと、結構床がずっとあったかいんだよね。それがだんだん寒くなってきてね。
ちょうどその時、メキシコを感じたいなって思っていて、夜、周囲の灯りも消えて、マットを広げて、メキシコで買ってきたカップにお茶を入れて、YouTube でメキシコの音楽をかけて・・・。メキシコとつながってるんだーってね。(笑)そういうのが好き。だから、どこかに出かけたり、誰かにあったりとかじゃなく一人の時間を楽しむのが、私のリフレッシュの方法です。
こだわりの詰まったすごく丁寧な暮らしでは全くなくて、ごくごく普通の暮らしを「ゆるり」と続けている。それだけで幸せを感じられるかな。
工房はさすが「ものづくり夫婦」というだけあって、生活を便利にする小道具が手作りされていて、とてもお二人らしい居心地のいい空間でした。ゆきさんとお話ししていると、作品の使い心地と同じで、とても自然体で心地よく、リラックスできる気がします。
当オンラインショップでは、さとうゆきさんの作品のお取り扱いがスタートします。新生活や、母の日の贈り物に。暮らしに寄り添う布ものたちをぜひご覧くださいね。
1970 高松市生まれ
1989 高松工芸高校美術科卒業
1993 多摩美術大学美術学部彫刻科卒業
帰郷後結婚。「子どもに着せたい服がないなぁ」と思ったことで、布を触りはじめる。暮らしに必要になった布ものを作りつつ、彫刻家の夫の手伝い・子ども造形教室「アトリエNiño 」の先生もしている。
1月28日からはじまる展示会では、3組の職人さんの想いやカラーを思う存分楽しめそうです!ずっと大切にしたい相棒に出会いたいと思います。ありがとうございました。
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ずっと大切にしたい『春のおさいふ展』
2021年1月28日(木)〜2月23日(火・祝)
OPEN 11:00-18:00 (火曜定休)
23日祝日は営業致します。
kitahama blue stories
香川県高松市北浜町4-10
TEL 087-823-5220
▷オンラインショップでのお取り扱いは2/1(月)11時〜となります。
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vol.1 漆作家 Sinra 松本光太さん
たくさんの「こと」や「もの」があふれる今、作り手の想いと使い手の心がつながる奇跡。瀬戸内の小さな町で暮らし、ここにある風景、文化、素材と向き合い、ものづくりにこだわりと情熱を注ぐ作り手の方々をご紹介します。
彼らの美意識やものづくりの喜び、遊び心などが詰まった言葉を大切に集めてそれぞれのストーリーを発信していきます。
第1回は、香川漆芸の若手作家を代表する松本さん。2021年1月3日よりkitahama blue storiesとデザインラボラトリー蒼では「sinra」と個人展「松本光太」としての2つの展示会が同時開催いたします。今回は漆作家の松本光太さんの工房を訪ねてきました。
‐漆と出会ったきっかけは?
高校を決めるときに担任の先生にいくつか候補に出してもらうじゃないですか。
3つくらい候補を出してもらった中に高松工芸高校の金工科、漆芸科、デザイン科がありました。技術も身につくし、もともとモノづくりが大好きだったこともあって、その中でも金属の冷たい感じより、漆芸の木の温かい感じが好きだったので漆芸科を選びました。そこが漆との出会いでした。
それまでに漆のことは全く知らなかったですね。ただ漆を木に塗って…漆器というものがあるくらいの漠然とした認識でした。
それが高校に入ってからは週の半分が実習の時間で、漆漬けの毎日になりました。
‐育ったのはモノづくりや漆にふれる環境だったのでしょうか?
母自身は漆器が好きだったようですが、父の代からみんなサラリーマン一家で、分家ばかりで引き継ぐ漆器もなく、家の中にあふれていたかと言うとそんなことはなかったです。
これはありきたりな答えなんですけど、男の子ってみんなプラモデルとか作るのが好きじゃないですか。
小学校の図画工作の時間に木を削って作って褒められた経験なんかがモノづくりが好きになったきっかけですかね。
‐漆のどんなところに魅力を感じていますか?
漆に限ってというよりはモノづくり全体に言えることですけど、僕の場合はたまたま漆に出会ったから漆を続けているだけです。金工の道に進んでいたら金工家になっていたかもしれないですね。
漆って自然のもので、生きてるわけなんです。塗れば乾くものでもないですし、厚く塗れば縮むし、全く自分の思い通りには一切なりません。それをうまく対話しながら完成に近づけるのが面白いですね。
‐漆を扱う上で大切にしていることはありますか?
もう自然なんですよね。もう30年以上やってきて、漆は日々触れるものであるっていうのが染みついてるんです。
息をするのと一緒ですよ。何にも用がなくてもアトリエに来てるしね。この空間だったり、漆の香りをかぐと精神が落ち着きます。
‐作業の道具は自分用に作られているのですか?
面白いことに仕事ができる人の道具は、誰が使っても使いやすいんです。仕事ができない人の道具は、みんなが使いにくい。やっぱりその性質を良く知っている人が作るとすごく使いやすいです。
ただ、たぶん僕の道具を他の人が使うとちょっと使いにくい。。。(笑)
自分の使いやすいしなりだったり、角度だったりを自分の感覚でつけていくんですが、他のスタッフも自分でヘラなど道具を作っています。ちょっと彫りをしてみましょうか。
‐すごく細かい彫りですね!
僕の彫りってすごく細かいじゃないですか、1個2個間違えても全然目立たないんですよ(笑)。ぎっしり彫るんでね。
若い頃は一つの失敗にすごくこだわってましたけど、歳を取ってくると、それよりも「全体のフォルム」に追求するところが変わってきましたね。
‐小さなカップ、仮面やオブジェなど作っておられますが、どんな時にアイデアが浮かぶんですか?
まあかっこよく言っちゃえば、作品との対話だよね。
始めは木地があってそれを眺めながら、ここの木目を生かしたいなとか、どんどんラフを書いていっちゃう。僕の場合はね。
それでなんとなく彫りたいなって思ったものを、その中からチョイスして1日2日眺めて、他の仕事をしながら机に置いておくんですよ。
お面や箱もね。1つのことばっかりをやっていると煮詰まってきて面白くなくなるんですよ。ひとまず目につくところに置いて違う作業をしながら、
こんな感じでいこうかなってのを思いついたら彫って進める感じですね。
‐最初に木地を彫ったときにはある程度の完成形のイメージがありますか?
僕の場合はまず形を彫りたいんです。だからお面だと、こんな形を作りたいってのがまずあって、それを彫り始める。
作品でいくと、こういうカーブの色気のある箱を作りたいと思うとまずその箱を作り出す。それで置いておく。まずフォルムから入って、フォルムが出来た時に、じゃあ意匠をどうするかを考えることが多いですね。
‐どうしてSinraを始めたのですか?
僕も研究所を出ているので、磯井 正美に弟子入りした時点で、その作家っていう方向性もしっかり教え込まれました。作家のやり方もわかる、けど自分の作品をつくるだけだと漆業界は終わってしまうんですよ。現代に合わせた漆器をつくっていかなければいけないというのが、Sinraの始まりですね。
‐Ishikoシリーズどのように行き着きましたか?
いろんなイベントに出るようになって庵治石の職人さんとのつながりができて、庵治石の職人さんから庵治石に漆を塗ってくれという風な注文を受けるようになりました。例えば、庵治石のプレートに漆を塗ってそこにステーキを置いても染みていかない、とかね。でも、それってどこまで行っても庵治石のお皿であって漆器ではないですよね。
ある時庵治石の職人さんたちとお酒を飲んでいるときに、僕たちも漆器で庵治石を作りたいな、という話をしていて。どういうものがあるか、という話で庵治石を削るときに粉が出ると。その粉をどうにか使えんかなと思って、いろんなものに混ぜ込んでみて、1年ほどかかって今の状態になりましたね。楽しく話してて、いろんなアイデアももらいつつ、とりあえずやってみようと思いました。うまくいかなくてもなんでもやってみることですね。
‐つくり手として使い手の方にどんな風に楽しんで欲しいと思いますか?
そうですね、まずは触れるところからですね。
今の子どもたちは漆に触れる機会が全くないですから。他の漆が盛んな地域では学校給食で漆器を使ったりして、実際に使ってみたり漆に関する知識を勉強する機会を作っていますけど、高松はなかなか厳しいですね。
20歳くらいの人たちがIshiko塗りを使いやすいと思って買ってくれるとね、この人たちがお年寄りになったときに、もっと上の人間国宝級の方の作品に魅力を感じてそれを買ってくれる人になるかもしれない。でも、やっぱりそれも子どものころから漆器を触った経験があるからなんですよね。
だから漆を扱う者として、やれることをやって伝えていくことが大切だと思います。
‐つくり手として漆を今後どのように残していきたいですか?
とにかく子どもたちに漆を親しんでもらうこと。日常の中に漆器が一つでもあるといいですね。テーブルの上の彩りに漆器があると最高じゃないですか。かっこいいですよね。漆器ならでは温かみを皆さんに知ってもらえるようになるといいな。
‐最後に、1月にSinraとしての展示会と、松本光太としての展示会と、二つの展示会が行われますがその意気込みを教えてください。
北浜アリーの風景を表現できればと考えています。
空や海の透明感、空気感って漆で表現するのは難しいですけど、なるべくそこに近づけたものをつくってみたいなと思います。
僕、個人の展示としては今まで作ったものはほとんど発表されてないもの、香川県で発表するのは初のものが多いんですけど、それをみていただけるといいかなと思います。
きれいだなっていうより、変な物を作っているなって感想を持っていただけると嬉しいです。そうでしょ、って言えるからね笑。
自分の個性をガンガンに出して、自分の好きなようにしていいんだ、今までの漆器じゃなくっていいんだって、思ってもらいたいですね。
1月の展示会ではSinraとしてだけではなく、松本さん独特の世界観が拝見できそうでいまから楽しみですね!ありがとうございました。
〈松本光太さん プロフィール〉
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「sinra漆」展
2021年1月3日(日)〜1月25日(月)
時間/11:00-18:00(火定休日)
*祝日は営業いたします。
料金/入場無料
場所/ kitahama blue stories
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「漆作家 松本光太作品」展
2021年1月3日(日)〜1月17日(日)
土・日・祝のみ営業
時間/11:00-18:00
*最終日のみ17時まで
料金/入場無料
場所/ デザインラボラトリー蒼
kitahama blue stories向かいの大運組ビル2階
<ワークショップ>
1/9〜1/11の3連休はkitahama blue stories3周年記念として
ワークショップを行います。
漆のアクセサリー作りやちぎり絵を予定しております。
ぜひご期待くださいませ。
<ご予約・お問合せ>
香川県高松市北浜町4-10
087-823-5220
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