vol.9 木工作家
加賀雅之さん

vol.9  木工作家 加賀雅之さん

たくさんの「こと」や「もの」があふれる今、作り手の想いと使い手の心がつながる奇跡。瀬戸内の小さな町で暮らし、ここにある風景、文化、素材と向き合い、ものづくりにこだわりと情熱を注ぐ作り手の方々をご紹介します。

彼らの美意識やものづくりの喜び、遊び心などが詰まった言葉を大切に集めてそれぞれのストーリーを発信していきます。

第9回は、木工作家 加賀雅之(かがまさゆき)さん。サラリーマンを経て木工の道に…飾らず、背伸びせず、正直に。作品に表れる真っ直ぐな人柄を感じながら、ものづくり人生となった加賀さんのストーリーをお話しいただきました。


ー木工作家になろうと思ったきっかけは何ですか?

普通に大学を出て就職をしてサラリーマンをやっていたのですが会社の方針や仕事の仕方に疑問がずっとあって、いつか破綻しちゃうんじゃないかって感覚があったんです。

会社は右肩上がりじゃなきゃいけないし、借り入れをしたら返済する事が義務になって、無理や無茶がはじまって人を雇ったらその分また生産性を求められて…ずっと成長し続ける事は結果、自分たちの首を絞めているような感覚。

右肩上がりにこだわらない、借金をしない、必要以上に大きくしない。会社で感じた違和感を逆にとらえて考えたら、自分一人でやるのが向いているんじゃないかな、と結論になりました。


ーその時に木工作家になろう!と思ったんですか?


木工をしようとは特に決めてなかったです。高松でサラリーマンをしていた時、嫁さんが職業訓練校の資料をもってきてそこが岐阜県飛騨高山の木工科のものだったんです。

入校すれば一年間失業保険を受けながら専門的な技術を教えてくれるから行ってみようよ!と。その時結婚していたのですが、有給をとって飛騨まで試験を受けにいき合格したのでじゃあ行くかってことで木工を始めました。


ー木工があってのスタートではないのですね。

そう、木工を最初に考えていたわけではないんです。自分一人で仕事をするときに、物を仕入れて売るのは運転資金も要りますし、個人でするのは現実的ではない。それよりも自分で製造業としてものを作って売る方が自分の匙加減というか、思うようにやれるんじゃないかというイメージがありました。


ー木工以外のほかの選択肢もあったんですか?

どうだったんだろう…嫁さんが持ってきたのが木工だったから。やるんだったら木工かなとか、そんな話はしていたのかも。ただ陶芸や他のことをやろうとは全然思わなかったですね。

もともと嫁さんがサラリーマンをあまり長く続けさせたくなかったようであんたそんな仕事続けていたら早死にするでってよく言われていました。


ー素質を見出してくれたんですね。

どうだろ~(笑)


ーもともと作家になるっていう感覚は自分にありましたか?


どっかではあったのかもしれない。いつかそういうのが出来たらなぁとは思っていました。

もっと遡っていくと高校生の時に芸大とか受けたいなと思ったことはあるんですよ。ただ調べてみたら学費とかが高すぎて現実的ではなかったんです。なのでとりあえず普通の文系の大学に行きました。

見るのも作るのも描くのも好きだったけど特別人より何か得意ってわけでもなかったですし、手先は器用な方でしたが、芸術系で戦ったことはないから...ふわっとしていたかな。10代20代はそんな感じでふわっと過ごしてました。でも、どっかで何かやりたいとはあったのかもしれませんね。


ーそしたら木工自体も0(ゼロ)からのスタートだったのですか?

完全にゼロからですね。何も知らずに始めました。訓練校は期間が1年間、同学年が22名ぐらいで、社会人や若い方いろんな人がいましたね。そこに交じって実際に集中してやってみて、あぁなんか自分に向いているなという感覚がありました。


ー向いているなと気づいたのはどれくらいなんですか?

4月に入ってゴールデンウィークぐらいまで延々、かんなの刃を研いでいて…本当基本的なことですが、最初はぜんぜん研げないんです。刃は丸くなるし全然ダメだったのが毎日していくとゴールデンウィーク前に急にびたっと刃が付くようになって…その時にちょっと合ってるのかも、と。

クラスの中でも感覚をつかむのは早かった方ですね。色んな基本的な手加工を習っても、割と飲み込みが早い方でした。

 


ーそこから木工作家の道が始まったのですね。

とはいえたった1年間、学んだことで仕事にするのは難しくて、結婚もしているし、生活もしていかなくてはいけないじゃないですか。なので卒業後は、飛騨の木工会社に就職をしました。

6、7年働きながら同じ訓練校で所帯持った同世代の2人と一緒に3人で豚舎だった建物を借りて、1年掛けて綺麗にして、中古の機械もお金を出し合ってそろえて、実際に自分でモノづくりを始めたのが2007、8年頃ですね。そのころは木工会社に勤めながらだったので加賀雅之の名前ではなく屋号「semi-aco」で活動していました。

 


ー屋号の「semi-aco」の由来は何ですか?

semi-aco(セミアコ)はセミアコースティックギターの略称ですね。アコースティックギターは中が空洞になっていて弦の振動を本体の中で反響させて楽器自体で音を出すんだけど、エレキギターっていうのはマイクが付いてて音が出る。ちょうどその中間のセミアコースティックは中にマイクがあって、本体だけの音も、マイクを通して大きい音も出すことが出来るっていう楽器。

ハイテクとローテクの中間みたいな感じで、僕が木工でやりたい工業製品と手工業のいいところを取り合って出来るモノ、そんなイメージでこの名前にしました。

手仕事っていうのは必要で大切だけど、数を作るとなると全て手仕事は難しいし、その分単価も高くもなる。手仕事だから凄い!訳じゃなく、適材適所で、ちょうど良い塩梅があるはずなんです。工業製品には工業製品のいいところがあって、機械の力をかりて出来る仕事と手仕事にしか出せない仕事があって、そのバランスを取りたいんです。


ー工業製品と手仕事の間に加賀さんのモノづくりがある?

そうそう、もともと工業製品好きですしね。同じものがいっぱい並んでいるとか、どこか幾何学的なものが好きだったりとか、歯車とかも(笑)逆にあまりにも自由過ぎるのはないかもしれないですね。


ーアート的なモノづくりは加賀さんのイメージにはないですもんね。

結局僕が作りたいのは道具なんです。アート的な世界になると座れなさそうな椅子でもこれは椅子ですと言ってしまうんですよ。でも僕の感覚では、それは椅子じゃないよねってなるんです。自由な発想、アート的なモノづくりでもやっぱり使う事が出来る道具であって欲しいんですよね。インスピレーションを貰うのは工業製品や昔の道具から来ることが多いかもしれない。

 



ー作家としてここは譲れないな、と思うところはありますか?

良くも悪くも好き嫌いがはっきりしてるから、流行りがあったとしても自分が苦手なら絶対にやらないですね。


ー絶対?

絶対です(笑)これは自分がサラリーマンを経験しているからわかる事かもしれませんが世の中の8割の人が良い!というものは大体大手がやるんですよ。そうなると、僕らみたいな個人では手に負えない。

それだったら、流行ってるからやってみるというより、自分が本当に良いと思うものを作り続けていれば、たとえそれが5年売れなかったとしても、もしかしたら6年目に売れるかもしれないし、そっちの方がなんか説得力ありますよね。

 

ー現在木工の道に進んで何年ぐらいになるんですか?

木工を始めて18年目になりますね。semi-acoとして始めたのが2007年、2008年ぐらい、そして岡山に来て12目年になります。

当時は置いてもらっているお店とかも少なくて、クラフトフェアとかを全国で開催していて作業場で作りためたものをクラフトフェアにもっていっていたんですが、やっぱり木工会社を務めながら作家業をするのに限界を感じまして。数が作れないし、やるなら1本に絞ってやらないと、と思って岡山で始めました。


ーなぜ岡山で始めたのですか?

嫁さんの出身が岡山の児島で僕が京都出身だったんです。独立するなら住む場所と作業場所が一緒の方が金銭的にも良かったし、木工の加工機械を回すとどうしても大きい音が出るので街中では難しい。で、限られた中で考えると田舎の母屋と離れがあるような物件がいいよね、と。

京都は山の中の物件を探しても家賃が高かったんですよ。で「うゎー、高いなぁ~」って…2人とも西日本の出身なので兵庫や大阪の方まで物件を探してましたが、引き寄せられるように最終的に岡山にたどり着きました。田舎暮らしがしたいとかはないんだけど、必然的に田舎暮らしになってましたね。


加賀さんのお家テレビもないし田舎に一種の憧れがあるのかと思ってました(笑)

違うねん!意識高い系に勘違いされそうやけど結構普通でいいのよ(苦笑)テレビは確かにないけど、もらったテレビが壊れてしまって、ないならないで大丈夫だっただけ(笑)機械の音が出る仕事だから隣に家もなくて、夜中に大きい音が鳴っても大丈夫な田舎暮らしに結果的になっただけなんです。

東京で働いていたこともありますけど、別段都会が生活しずらい、とかもなかったですね。ただ子育てを東京でやろうとは思わなかったかな…。

 

ー作品を作る期間はどれくらいかかっていますか?

よく聞かれるんですが、単純に木を板にして彫る作業だけだったらonigiri皿なんかは1枚30分もかからないです。

けど、その木の板を作る前に丸太を板状に挽いた材料を買ってくるんですが、木って反ったりねじれてたりするんです。木を買ってきたら作るものよりも一回り大きい状態に切って、重ねて置いた状態で少しづつ削って真っ平らに近づける下ごしらえが1か月以上掛かってきます。

製品になっても保管している環境や空調によって反ったり木が育った環境によっても反りが違いますね。山の勾配が急な斜面に生えている木だと一方向にストレスがかかっていてねじれや反りになるんです。それをほぐしながら均一にしていくっていう感じです。


ー作品にする前の素材から手をかけているんですね。

木のサイズが決まっていますし、割れや節もあるのでどこまで有効的に無駄無く使えるか、木材を扱うのは引き算の仕事になります。一度切ってしまうと元に戻せませんから制限がある素材なんです。

 

ー工程で一番楽しい所は何ですか?

仕上げの工程でオイル塗っている瞬間ですね。それまでは木くずまみれなんですが、オイルを塗った瞬間木の器になるんです。艶が出て木の色味もグッと強くなって、出来た~って感じるんです(笑)


ー加賀さんといえば彫り、彫りの工程が好きなのかと思ってました。

長年しているので、手や体の感覚が覚えていて、自分が機械になった気持ちですね。その作業に没頭している間は色んなこと、いつも別のことを考えていることが多いです。集中してるわけでもなくて、機械みたいな感覚ですね。


ー木を彫ることに対しては緊張しないんですか。

あまり緊張はしないかな。でも、料理するときの食材と一緒で木は生き物だと思っています。そこに刃物を入れるのでごめんなさいではないけどちゃんと使わせてもらいますと思いながら扱っていますね。ご飯食べるときの「いただきます」と同じ感覚です。


ー木が生きているって言う感覚は木工作家さんならではなんでしょうね。

そうかもしれませんね。土やガラスや金属より生々しい感じ。生きたものだし、しかも自分より長く生きた年上の存在ですからね。だから切れる刃物で、なるべく木に負担を掛けずに切りたいとは思っていますね。



ー使う道具はこだわっているんですか?


本当はそうしたいですが、作業場にある機械は中古品ですし工具もバラバラですね。お金もないので仕事で必要な道具をひとつひとつ買いそろえていった、という感じです。中古の物もあるし、人から譲り受けた物もあります。

拘る方は好みのブランドで揃えるんでしょうが僕はそれよりもちゃんと研ぐ方にこだわっています。安い刃物でもちゃんと研いでメンテナンスすれば使えない道具はないですからね。

手工具はメンテナンス出来るんですが機械は難しいですね…飛騨時代からお世話になってる機械屋さんに電話して、どこが悪いのか教えてもらいながら自分で直して使っています。

 


ー加賀さんの工房にはどれくらいの機械があるんですか?


色んな使い方ができる汎用機(はんようき)を8~9ほど置いています。大きい工場には専門の作業が出来る専用機(せんようき)がありますがそれではきりがなく、スペースの関係もありますしなるべく色々と使い回しが利く機械を選んでいます。

新品で買う事は資金的にも難しいので飛騨にいる時に、独立に向けてある程度見繕っておきました。産地なので機械の中古品もよく出回るんですよ。それを岡山に来た際に一緒に送ってもらった感じですね。


ー工房に籠る事も多いかと思いますが、作業中音楽とかかけられたりしますか?

いつもラジオを流しています。FM岡山とかレディオモモしか電波が入らないけど…音楽も好きですよ。ただCDラジカセを持ってはいますが、わざわざ手を止めないといけないし、埃だらけになるのでやっぱりラジオかな。

最近スマホデビューしたのでアマゾンミュージックとかスポティファイとかほんとうは聴きたいんですけどね。嫁さんがうん、と言わん限りは…ね。なかなか思うようにはいかんわ(笑)


ーちなみに好きな音楽は???

今はズーカラデルとかハンバードハンバートとか。竹原ピストルとか、昔の星野源も好きですね。今の星野源も好きだけど、昔のもがいてる感じの時が好き。全然何でも聴きますよ。サーフミュージックも好きやし。ロックとかポップ、でも縦のりじゃなくて横のりが好きです。


ー息抜きはどんなことされていますか。

バイクで近所の山を走ったり、って言ってもツーリングって程でもなくて、ほんま近くのダムに行ってカップラーメンを食べて帰る。まあ、ピクニックに行く感じですかね。

スランプみたいなのはないんですが、なんか、今日は怪我しそう…とか、なんか、嫌な感じがする…って思う時があるので、そういった時はおとなしくパソコンに向かって古い車をレストアしてるのをYouTubeで観たりしています。

 



ー「自分らしい」と思う確信があったのは始められてどのくらいでした?また名刺代わりになった瞬間とかはありましたか?

確信か…売れてるものとか売れそうなものを作る気は元々なかったから「自分がやるんやったらこれやな」っていう感じで作り始めて…そうやね、10年くらい前かな、人気のある方がお皿を使ってくれてて、それをインスタにアップしてくれたらしくて、それを見て買いにいらした方がいた時かな。自分の彫りに名前が付いた感じ。


ー作品へのこだわり、彫りカタチ、使い勝手などありますか?

彫りやカタチは自分の中でいいと思った物はありますが、基本は脇役であってほしいなと思いますね。onigiri皿やったら、おにぎりをのせて初めてonigiri皿になりますよね、主役をうばわずに引き立て役になるように、とは考えています。

自分の展示会でも自分の作品の上にお皿やカップ、そのお店にある物をのせて引き立て役として使って下さい、とお願いしているんですが、感覚としては作品を作っているのではなく、生活の「道具」を作っている感覚ですね。自分の作品です!ではなく、他の作品があって使われて初めて活きる物であって欲しい。暮らしの中、人の営みに添う脇役がいいんです。


ー作品のアイディア、影響を受けた方はいらっしゃいますか?

工業製品がもともと好きで直線的な物の方が好きで、幾何学模様のようなデザインが好き。影響を受けた方…ん-、べタ中のベタやけどイタリアの工業デザイナーのジョルジェット・ジウジアーロの車とかすごく好き。ベタすぎて恥ずかしいわ…昔直線的な車をデザインしてて、影響というかそういうのが好きかな。

好きな作家さんもいるし、作家さんの物を買う時もありますが、工業製品ぽいデザインを選ぶかも。無意識に。手仕事ですから!みたいな自己主張が激しい物はあんまりかな…

最近いびつなカタチのお皿も作ってるけど、いびつというカタチをめっちゃ考えますね。ただそうなりました、というカタチではなく、「いびつ」をたくさん描いて、そのなかの一番好きな「いびつ」をお皿にします(笑)そしてその「いびつ」をいくつも作ります。毎回違ういびつさではないですね。

職人と作家とか、アーティストのくくりは難しいやけど、たぶんアーティストの人はその時一回きりのモノづくりはあり得るけど、職人さんはそうじゃない、図面を渡されて何百個と作れるのが職人さん。で、僕らは図面を描いたり、デザインまでやるから作家と呼ばれる。でも一回しかできません、というのは僕の中ではあり得ないから、自分が決めたカタチはいくつも作りたいですね。

 

ー今まで作ってるカタチの中で、一番のお気に入りは?

お気に入りか…ん-、イチリンザシかな、やっぱり。息子が小っちゃい時にその辺の花をちぎってお母さんに「はい。」って渡してたやつを飾れるようにしたいなと思って作り初めたんです。

木工会社に勤めていた時に出てた廃材から作りはじめたのがイチリンザシ、カタチも今と一緒ですね。当時も、今もですが、木工旋盤があれば丸いカタチの物を作れるのですが、持ってないので、持ってる機械でフリーハンドで最初作って今でも作ってます。もう何千個作ってんのかな…めっちゃ作ってますね。

pan皿もonigiri皿もあれはあれで作家として認知してもらえた気がするからやはり想い入れはあります。pan皿、onigiri皿があったからこそそれをベースに水平転換で最近は縁のあるお盆を作る事が多いですね。


ーでは今回の展示会について、どんな展示会にしたいですか?

今回はお皿メインでなるべく、定番物から新しい物もちょっと混ぜながら、ほぼほぼフルラインナップを予定しています。blue storiesに普段あるガラスや焼き物など他の作品と一緒に組み合わせて展示してもらえたらいいかなと思います。


ー展示会へご来場いただくお客様へのメッセージは?

メッセージか…でもいつもショップカードにも書いてあるけど、ちょっと温かく思ったり、ちょっと暮らしがゆるんだりするような、お家に持って帰って、ちょっと家が明るくなったりとか、心地いいと思ってもらえたら嬉しいですね。お皿一枚増えただけで朝ごはんが楽しくなったりとか、今日あのお皿であれ作ろう!って思えるのは日常生活の中で大事な事じゃないですか、そういう事の役に立てればうれしいなと思いますね。

僕の場合は定番としてシンプルに同じものを使う事が多いから、自分が作る物にも派手さや最先端なものは必要ないのかなと思っていますね。


ー素直にちゃんと生活する道具としてのお皿なんですね。

そう、劇的に変えなくていいから、ちょっと幸せになってくれたらいいな、と。ちょっとでもすごいことだと思うけど、劇的に変えられる程の力は僕にはないから。


ーワークショップについて、前回に引き続き、今回もされますが、どんなイベントになればと思ってますか?

今回原点回帰じゃないけど、みんなで同じ形の板をせーので彫ってもらって、出来上がり、どんなバラバラなものが出来るのか、自分の作品だけじゃなくて、他の人の作品も合わせて楽しんでもらえたらなと思います。


ー皆さん楽しみにされてますけど、ワークショップをする理由は加賀さんにとって何かありますか?

わずか数時間ですが、実際にやってみると結構大変なんです。手が痛かったり、人によっては皮がめくれたり…全然思ってたのと違う、っていう方が多くて。

木工には木工の、陶芸には陶芸の、ガラスにはガラスのひとつの作品の向こうにこういう大変さがあるのか、とほんのちょっとでもいいから体感して欲しい。一回やってみる事で物の見え方が変わってくると思うんですよ。

ほんの数時間の体験で出来上がる喜びと物を作るのを仕事にしている人の作品の奥にある物、物の価値を知ってもらえたらと思っています。

pan皿やonigiri皿とか、刃物ですーっと彫ってると思う方も多いけど、実際やったら固いし、ちょっとずつ彫ってひと彫りひと彫り進めて作るんです。これはやってみないと分からないし、知らないですもんね。その物の価値に気づいてもらうきっかけになればと思います。手を動かして物を作ることで得られる気づきの見え方、知ってもらう為にもワークショップは可能な限りやらせてもらってます。

木工はワークショップにも向いてますしね。陶芸やガラスは時間とか、道具、炉が必要になってくるから工房に行かないとできないし、その点木工はどこでも出来るし、完成してすぐ使えるっていうのもいいですよね。

今回さろんぶるーで開催なので、自分が作った作品におにぎりのせて好きなところで写真とか撮れるし、楽しいんじゃないかな。

 



ーこれから加賀さんが未来に向けて挑戦、ビジョンはありますか?

ん-、そうですね。あんまりおもしろくはないけど、今のペースを崩さずに続けていくことですかね。いつも言うんやけど、どーんと上がったら、どーんと下がるやん?うちは低空飛行でもいいから長く飛び続ける事を選んでいるから来年あれやって、10年後こうなって…ってあまり考えてないかもしれない。それよりは細々とでも自分の仕事をやるのが目標かな。

毎日毎日コツコツ積み重ねた結果、ああ、もう10年経った、もう20年経った、それでも続けてるっていうのが僕の中では理想ですね。それが一番最高なんかなって思えます。

僕が持っている武器は木工一個やし、それで長く続けていくためには派手な事はしないけど、それでも10年後も続けていられると幸せですね。

 
ー加賀さんにとって「瀬戸内」はどんな存在ですか?

去年の企画展で出させてもらったプレート「凪」。そのイメージ。今は山の方に住んでるけど、それでも一時間ちょっと走ると牛窓とか日生っていって瀬戸内海がすごく近いし、嫁さんの実家も児島やし、高松にもちょこちょこ渡らせてもらっているし、でもいつ行っても凪いでるもんね、海が。荒れてるイメージがないから、それが結構好きな理由かな。あまりこう波がないっていうのがいいのかな。

モノづくりの環境も岡山は晴れの国って言われるくらい木工に向いてますしね。あまり考えてはなかったんやけど、山陰とかは雨が多いし、晴れが少ないからもっと仕事はしずらかったかも。

最終的に行き着いたところがちょうど自分に合った場所、タイミングや環境、色んなものに導かれたのかなと思います。

 自然からもらった素材を感謝しながらカタチにする。忙しい日々の暮らしの中でシンプルだからこそ忘れやすい事を、ふっと思い出させてくれるような加賀さんの作品たち。3月の展示では真っ直ぐなものづくりと人柄に触れてみて下さい。

 

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